▽この地域に多い旧東海道沿いの植木屋さん。「安倍郡有度村」の看板が・・・
行政区をまたいで同じ地名(町名)が付けられている例は
それほど珍しくはないようです。
(自明のことですが、東京都の区は「特別区」ですので、ここでいう「行政区」とは違います。)
というのは、行政区境を設定するに当り
町(大字)の境よりも
道路や河川・鉄道などの分かりやすい施設を
境として優先する例も多いからです。
静岡市では「谷田(やだ)」が
駿河区と清水区の両行政区にまたがっています。
谷田が両区にまたがっているということは
旧静岡市と旧清水市の時代から
比較的市民にはよく知られていますが
他市の行政区を越える地名とはちょいと経緯が違うようです。
▽1889年(M22年)4月1日
市町村制度発足に伴い
平沢村・中吉田村・谷田村・草薙村・中之郷村・馬走村・上原村など
21の村(市町村制度における村とは違います。)を統合し
有渡郡有度村(郡名は「有渡」であるが村名は「有度」)発足
【有渡郡有度村谷田 (うどぐん・うどむら・やだ)】
▽1896年(M29年)4月1日
有渡郡全域を安倍郡に編入
【安倍郡有度村谷田 (あべぐん・うどむら・やだ)】
▽1955年(S30年)4月1日
有度村全域を清水市に合併
【清水市谷田】
▽1958年(S33年)4月1日
清水市の旧有度村の地域のうち
中吉田全域、平沢全域、谷田の一部、中之郷の一部を静岡市に編入
谷田、中之郷が両市に二分されたことになる。
【静岡市谷田・清水市谷田、※静岡市中之郷、清水市中之郷】
このとき実施された静岡市への編入は
ポーラ化成工業の敷地が静岡市側へ取り込むような形になっていること
大和製罐の敷地が玄関部分だけは清水市側に残されていることなど
恣意的なものが感じられますので
多分に政治的な決着があったのではないかと想像されます。
※「中之郷」は、旧美和村の「中ノ郷」とは別です。
▽1958年(S33年)11月1日
静岡市中之郷の町名を弥生町に変更
これは、58年6月1日に静岡市に合併した旧美和村の「中ノ郷」が「静岡市中ノ郷」となり
「静岡市中之郷」と「静岡市中ノ郷」が併存することとなり、両者の区別が煩雑になったためだと思われます。
(実際、「之」と「ノ」の厳密な書き分けを地元住民以外の市民に徹底するのは困難でしょう。)
一方、谷田のうち静岡市となった谷田は町名変更されず現在に至っています。
(1993年1月1日にも谷田、中之郷、草薙の各一部が旧静岡市に編入されていますが
これは静清区画整理事業による市境の整理によるものでしょう。)
▽2003年4月1日
静岡市と清水市が合併
清水市の町名は「清水市◯◯町」を「静岡市清水◯◯町」のように
原則として「清水」を冠することとなったため
谷田地区の町名は「静岡市谷田」「静岡市清水谷田」となる。
(2004年11月27日にも、「清水谷田」「清水草薙」の各一部を「谷田」に編入していますが
これはもともと県立大学の敷地の一部であり、実態に即した変更ということでしょう。)
▽2005年4月1日
静岡市が政令指定都市となる。
区割りは旧静岡市が葵区と駿河区に二分され、旧清水市は清水区となり
旧両市をまたぐような区割りの設定はされなかったため
「静岡市谷田」は「静岡市駿河区谷田」、「静岡市清水谷田」は「静岡市清水区谷田」となる。
〔つづきはこちら〕
行政区をまたいで同じ地名(町名)が付けられている例は
それほど珍しくはないようです。
(自明のことですが、東京都の区は「特別区」ですので、ここでいう「行政区」とは違います。)
というのは、行政区境を設定するに当り
町(大字)の境よりも
道路や河川・鉄道などの分かりやすい施設を
境として優先する例も多いからです。
静岡市では「谷田(やだ)」が
駿河区と清水区の両行政区にまたがっています。
谷田が両区にまたがっているということは
旧静岡市と旧清水市の時代から
比較的市民にはよく知られていますが
他市の行政区を越える地名とはちょいと経緯が違うようです。
▽1889年(M22年)4月1日
市町村制度発足に伴い
平沢村・中吉田村・谷田村・草薙村・中之郷村・馬走村・上原村など
21の村(市町村制度における村とは違います。)を統合し
有渡郡有度村(郡名は「有渡」であるが村名は「有度」)発足
【有渡郡有度村谷田 (うどぐん・うどむら・やだ)】
▽1896年(M29年)4月1日
有渡郡全域を安倍郡に編入
【安倍郡有度村谷田 (あべぐん・うどむら・やだ)】
▽1955年(S30年)4月1日
有度村全域を清水市に合併
【清水市谷田】
▽1958年(S33年)4月1日
清水市の旧有度村の地域のうち
中吉田全域、平沢全域、谷田の一部、中之郷の一部を静岡市に編入
谷田、中之郷が両市に二分されたことになる。
【静岡市谷田・清水市谷田、※静岡市中之郷、清水市中之郷】
このとき実施された静岡市への編入は
ポーラ化成工業の敷地が静岡市側へ取り込むような形になっていること
大和製罐の敷地が玄関部分だけは清水市側に残されていることなど
恣意的なものが感じられますので
多分に政治的な決着があったのではないかと想像されます。
※「中之郷」は、旧美和村の「中ノ郷」とは別です。
▽1958年(S33年)11月1日
静岡市中之郷の町名を弥生町に変更
これは、58年6月1日に静岡市に合併した旧美和村の「中ノ郷」が「静岡市中ノ郷」となり
「静岡市中之郷」と「静岡市中ノ郷」が併存することとなり、両者の区別が煩雑になったためだと思われます。
(実際、「之」と「ノ」の厳密な書き分けを地元住民以外の市民に徹底するのは困難でしょう。)
一方、谷田のうち静岡市となった谷田は町名変更されず現在に至っています。
(1993年1月1日にも谷田、中之郷、草薙の各一部が旧静岡市に編入されていますが
これは静清区画整理事業による市境の整理によるものでしょう。)
▽2003年4月1日
静岡市と清水市が合併
清水市の町名は「清水市◯◯町」を「静岡市清水◯◯町」のように
原則として「清水」を冠することとなったため
谷田地区の町名は「静岡市谷田」「静岡市清水谷田」となる。
(2004年11月27日にも、「清水谷田」「清水草薙」の各一部を「谷田」に編入していますが
これはもともと県立大学の敷地の一部であり、実態に即した変更ということでしょう。)
▽2005年4月1日
静岡市が政令指定都市となる。
区割りは旧静岡市が葵区と駿河区に二分され、旧清水市は清水区となり
旧両市をまたぐような区割りの設定はされなかったため
「静岡市谷田」は「静岡市駿河区谷田」、「静岡市清水谷田」は「静岡市清水区谷田」となる。
〔つづきはこちら〕