§ 45
人間の職務にける忠実と服従、並びに運命に対する服従と人間の行為における自己忘却は、絶対的で必然的なもののために虚栄心、うぬぼれ、利己心を放棄することを根本条件とする。
— review (@myenzyklo) 2017年5月2日 - 00:46
説明。
職務は普遍的なものであり、必然的なものであって、人間の共同生活の一部をなしている。したがって人間の全事業の一部分である。人間は職務を持つとき、普遍的なものに参与することになる。人間はそれによって客観的なものとなる。職務はもとよりそれぞれ限られた領域ではあるが、
— review (@myenzyklo) 2017年5月2日 - 00:50
それにも関わらず全体の必然的な一項を形成するものであり、またそれ自身一個の全体でもある。人間がものになるためには、自分を制限することを知らねばならない。すなわち、自分の職務を全く自分のこととせねばならない。すると、職務は彼にとって何の拘束でもなくなる。そのときには人間は
— review (@myenzyklo) 2017年5月2日 - 00:55
自分自身と、その外面性、すなわちその職域と一体になる。ここでは職務すなわち普遍的なものであり、全体である。人間がーー空虚なもの、すなわち非本質的なのもの、無価値なものを自分の目的にするときには、事柄そのものに対する関心ではなく、自分の事柄についての関心が元になる。
— review (@myenzyklo) 2017年5月2日 - 01:01
空虚なものは何らそれ自身で存在するものではなくて、主観によって支えられているものに過ぎない。人間はそこではただ自分自身を見るのみである。例えば、人間が一般に自分の行為において自分の卓越さを意識する時、したがって事柄についてではなくて、むしろ自身に関心を持つ時のように、道徳的な
— review (@myenzyklo) 2017年5月2日 - 01:04
虚栄もありうる。ーーちょっとした仕事を忠実に果たす人間は、さらに大きな仕事に対しても能力のあることがわかる。というのは、それで彼の従順の精神が分かり、自分の願望とか傾向とか妄念を捨てるものであることがわかるからである。
— review (@myenzyklo) 2017年5月2日 - 01:06
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