>> <<引き続き、尾高からのノート。
— review (@myenzyklo) 2017年12月5日 - 21:45
三 国際政治の現実
政治は理念を必要とする。いかなる現実政治といえども、理念の旗印を掲げることなしには、その現実の目的を達成することができない。故に政治の現実の中には必ず理念が内在しているのである。
しかしながら、理念を必要とするところの現実政治は、それ故にこそ理念を利用する。理念が目的であり、政治はその手段であるべき筈なのに、実は、政治的な力の獲得が目的であって、理念はその手段に過ぎないということになる。これは、国内政治の場合にもそうであった。
— review (@myenzyklo) 2017年12月5日 - 21:46
ましていわんや、国際政治においてはその傾向が一層著しい。したがって、国際政治では、侵略戦争にも「正しい新秩序の建設」という美名が冠せられる。更に、正義・人道のためと称せられる外交政策も、叩けば現実主義の埃が出る。だから、現存の秩序を破ろうとする者は、
— review (@myenzyklo) 2017年12月5日 - 21:46
これを守ろうとする側の理念を叩いて、さかんに埃を立てようと力める。正義・人道とは「持てる者」のイデオロギイに過ぎないと言って攻撃する。かように、相争う二つの側の上に立って、客観的に烏の雌雄を決する審級がなければ、両者の争いは戦争を以って解決する外に方法はないということになる。
— review (@myenzyklo) 2017年12月5日 - 21:47
そこで、国際政治の現実に立脚する戦争不可避論が、否、正邪・曲直を決める唯一の道は国家間の決闘であるという戦争肯定論が、いつの世にも平和への憧憬と交替してむしかえされて来るのである。(s.260)
— review (@myenzyklo) 2017年12月5日 - 21:52
※現在の北朝鮮とアメリカを巡る国際情勢などについても、この尾高の認識は今も該当する。
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