玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

今時の学校

2005年10月09日 | 捨て猫の独り言
 教師との距離がゼロに近ずきつつある。仲間のいる教室に入ってくるのりで職員室に入ってくる。教師に対しては友達感覚で妙になれなれしい。教師のあだ名は知っているが、本名を知らない場合もでてくる。あだ名で呼ばれたい教師が多数派だ。ちなみに私はヨシコーだ。私は他の教師の所在などをあだ名で問われたら答えないことにしている。もうペット状態の教師もいる。そこまでやるかと思うが単刀直入にその教師を批判するというわけにいかない。ペットは飼い主を教育できない。こんな職場のストレスもある。

 ある特殊な事例をあげる。場所は職員室で、相手は高2の女子だ。こちらは慎重にことばを選びながら、生活改善などを話している途中に、やおら手鏡を取り出して髪の手入れなどが始まる。皆さんが見かける電車の中の光景を今や職員室でも見ることができる。ハレの世界とケの世界との区別がなくなった。

 大多数の生徒が仁義を知らない。個人的にルール破りのお目こぼしをしても、二人だけの秘密を守れない。秘することできれば次回もチャンスがあるはずなのに。それどころかあの教師は遅刻を甘く見てくれた、だからあんたもそうしろと言う。これはまるで恐喝行為だ。こんなことでは教師も建前に戻らなければ我が身があぶない。ますます学校が窮屈な場所になるばかりだ。悪を恥じる気持ちを持つべきだ。

 へなちょこ平等主義とはこのことか。授業中の私語を注意すると 「他の者もやっていますよ、どうして私だけを注意するのですか」 と情けないことを言う。 袖振り合うも他生の縁 (知らない人とふとした交渉をもつのも、前世からの因縁があってのこと) は死語になった。人と人の関係を希薄にしたいのだ。

 授業中の質問に対して男子生徒が間髪いれず 「わかりません」 と答える。こちらもただちに 「わかりません。すみませんの2つあれば学校では生きていけるね」 と返したら教室がどっと沸いた。


コメント (2)
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