珍しく居間のテーブルに花束が飾られている。最後の担任をした卒業生を送り生徒さんから戴いて来たものだ。我家にはその花束を活けるに相応しい適当な器がなかった。無地の陶器製で腰高の鍋に活けてみた。スッポリきれいにはまるのだが花のほうが重く、茎の先端が水から浮き上がる。小ぶりな器で押さえとし、角度を変えて置くとそんな細工は微塵も見えずきれいに仕上がった。
2年前私自身の退職の時は、固辞したにも拘らず「恒例だから」との理由で送別会をしてもらった。その際抱えきれないぐらいの花束を頂きタクシーで持ち帰った。その夜はタライに水を張って水遣りし、翌日1日がかりで小さなコサージュに作り変えて、参加してくださった方にお礼の挨拶をし差し上げたのを思い出す。
花のある生活は確かに美しくきれいだ。がその裏には、その美しさを愛でるための手入れや苦労(楽しみ)が隠されている。私自身は紛れもなく実務的な人間でその種のマメさに於いては大いに欠点がある。そんな理由で花よりも手入れは年に数回で済む木々の方が相性がいい。松の木すら自分でヤッツケル。長年の経験で腕前はプロ級だと自身では思っているのだが・・。
それでも春先になると玄関先には何らかの花が欲しい。この時期いつもガーデニングの店に立ち寄り、1つ1つ花を選定し鉢に寄植えして楽しんでいるのだが、昨日はヤヤ大ぶりの鉢を店に預けてお任せしてみた。別の鉢にはそこにない花を植えるとしよう。仕事の帰り回って戴く事になっている。サテサテどんな寄植えになっていることだろうか。