昨年末は大掃除は程々にして済ませた。年賀状も数枚にした。おせち料理も初めて取り寄せることにして花豆甘煮、味付け数の子、松前漬け、栗きんとん、雑煮用の具程度の準備だけにした。騒々しい紅白はチャンネルを切り替えながら摘み見し、それでも最後まで見る気もせず早々に就寝した。
明けて元旦。お屠蘇の杯を干し昨晩届いた重箱を解いた。お気に入りだった料理店が、チェーン店に押されて仕出し屋に転じた店だったから美味だった。お年玉目当てにやって来る孫達も、元旦しか休まない塾の方針で今年は来なかった。そんな訳で2人所帯に4段重ねのおせちは重過ぎ未だ残っている。午前中に例年通りの賀状が届き、初詣は歩いてお寺・神社に行った。お寺はチラホラで、神社は例年のごとく長蛇の列だった。
今年の年越しは静かだった。まだまだ体力的な衰えは感じないのだが、その内限界を感じるようになると意識的に色々な事を縮小へと向けることになるのだろう。子供の教育期や現役時代には、家庭や職場のアレコレをプランしあらためてまなじりを決していたように思う。其れに比し何と緩やかで穏やかな時の流れだろう。”日本は世界に例を見ない高齢化社会に突入した。最早モデルのない時代に入った。資源のない日本が経済大国になり得たように、今世界に先駆けた高齢社会のモデルになる時代到来だ”と誰かがあじっていた。