玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*連想

2010年02月15日 | 捨て猫の独り言

 18日(木)に行われるバンクーバー五輪スノーボード男子ハーフパイプ予選を注目している。開会式の不参加を決めた国母(こくぼ)選手が出場する種目だからだ。同選手は9日にバンクーバー入りする際に、ネクタイを緩めてシャツのすそを外に出し、ズボンをずり下げた「腰パン」姿だったことが批判された。「腰パン」はアメリカ生まれのファッションで日本の若者にも広がっている。その時の写真を見たがサングラスをかけてなかなか様になっていた。この青年がメダル獲得あるいはそれに近い結果を出し再び胸を張る時が来ることを願う。

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 そこで何故か思い出したのが、マラソンの円谷幸喜選手のことである。1964年東京オリンピックで銅メダル獲得後、つぎのメキシコオリンピックの年の正月に自殺した。今回の国母選手と比較して日本の若者気質の大きな変化だけでなく日本社会の大きな変化を感じる。円谷の自殺について三島由紀夫はつぎのような発言を残している。「傷つきやすい、雄々しい、美しい自尊心による自殺・・・・この崇高な死をノイローゼなどという言葉で片付けたり、敗北と規定したりする、生きている人間の思い上がりの醜さは許し難い」

 三島事件は円谷の自殺からほぼ3年後の1970年11月に起こる。小林秀雄は新潮社「感想」の中の「三島君の事」で、つぎのように述べている。「何か大変孤独なものが、この事件の本質に在るのです。素直な状態でいれば、誰もそれを感じていると思うのですよ。だけど、余計な考えや言葉がそれを隠してしまうのではないかと考える」 私は最近これらを読みながら小林秀雄の存在の大きさに思いを新たにしている。つぎに重ねて小林秀雄の引用をお許し願う。

 「人間を知るむつかしさを、今更のように痛感しました。人間の肝腎なところは謎だとはっきり言いきっていいのだね、きっと。三島さんは、反省的意識にかけては大家だったろうが、あの人にとっても、自分自身が透明だったはずはないだろう。やはり運命といったような暗い力と一緒にいたのだよ。謹んで哀悼の意を表すという弔電用の文句があるな。何故あるかと言うと、これはやはり、そういう空虚な文句を呪文のように唱える人が、その人自身の言葉にならぬ想いで、その内容を満たす為にあるのだ」国母事件に始まったバンクーバー五輪も2週間後には終わる。ちょうどそのころ私は永年勤務した職場を去ることになる。(写真は2月7日に玉川上水オープンギャラリーにて)

コメント (2)
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