親子3人がアメリカからの一時帰国で5月19日の午後3時にエア・カナダ便で成田空港に到着するという。長距離ドライブの経験が少ないので多少の不安を感じながらも車で空港まで迎えに行くことにした。初めて車にETCカードを装着する。助手席専門の私はこれもまた初めてのカーナビの研究を始める。ところが調布から高速道路に入り箱崎あたりでカーナビの読み違いで目標の湾岸線と異なる向島に出てしまい、ひとまず高速を降りるという事態が起きた。こんなこともあろうかと早めに家を出ていたのでなんとか出迎えに間に合った。スカイプのせいで驚きの対面とはならない。
その後早い時期に3人は市役所に出向き住民登録をし、国民健康保険に加入して安心して医療機関にかかれるようにした。もちろん滞在期間に相当する住民税、健康保険料は支払わねばならない。この一連の手続きは私の念頭にはまるでなかったことだった。さらに乳幼児の医療費は無料である。滞在の早い時期に親子で歯の治療もちゃっかり済ませた。2才の子は鹿児島で後頭部をぶつけて出血、また帰国間際に2人の子は同時に風邪気味で治療を受けた。これは想定外だったが、この滞在で3カ月分の子供手当が支給されるという。
近所に同じ年頃の子がいる2つの家庭があって、親子で良くつきあってくれた。これには大いに勇気づけられた。毎日のように朝は玉川上水い沿いの公園や、どこか近くに車で買い物に出かけたり、夕方は家の前で遊び路上保育園が出現した。夕方は蚊が多く、虫よけスプレーや蚊取り線香を用意したにもかかわらずよく刺されていた。いつの間にやら2人の子は日本語で意思を伝えるようになり英語は影をひそめた。子供の躾けはこれまでアメリカにいる若い父親が担当していたようである。わが娘の母親としての食事献立や子供の躾の様子を想像して不安になり、娘に干渉して衝突することもあった。こんな娘に育てたのもその親の責任だとすれば黙するしかない。
今回撮った幼子とその曾祖父の3人の写真がある。2人は曾祖父との面会の意味もその直後の急逝もよく理解できていないだろう。鹿児島入りの日に空港から高速道路を使わずに錦江湾沿いの旧道を市内に向かったが、いつまでも桜島がくっきりとその姿を見せていた。帰京して我家の壁の鹿児島銀行の一枚カレンダーを私が指差して「これな~に」と聞くと2才の子は「サクラジマ」とはっきりと答えた。その母親である娘は日本の運転免許証を紛失していて、ちょうど滞在期間中に更新の連絡の葉書が来た。更新の手続きが終わり、8月4日の帰国の際は成田空港まで娘が運転した。私は空港で運転免許証と3人の健康保険証を預かった。最後の日に4才の子が「また来るね」と挨拶したとき、私は曖昧な返事しかしなかった。今でも複雑な思いだ。私はこの夏2度目の風邪をひき、体重は3キロ減った。(写真は生見海水浴場にて)