前回出席したのは30周年で、留学生やその父兄及び受け入れ家庭としてだった。今回のカウラ会は一まわり膨らんで、雨天にも関わらず明治記念館の一室は賑わった。オーストラリアからの訪日者を始め、新旧を含む沢山の留学生や受け入れ家庭、関係者など150名による立食パーティは大盛況だった。
この制度はオーストラリアの小さな町(カウラ)に捕虜収容所が作られ、収容されていた日本人が集団脱走を図ったことが発端だと言う。カウラの高校と日本のさる私立高校間が平和を祈念して、'70年から各1名の留学生を相互に交換することになった。その日本の私立高校に娘が入学したこともあり我家もカウラからの留学生を受け入れた事がある。その後その制度に娘が応募したのは高校3年の時で、半年後私と息子も訪豪し、季節が逆の「真夏のクリスマス」等2週間の田園生活を満喫した。(関係者を含む新旧留学生)
会合には若人から関係者の年配者までいた。10年ぶりに頂いた招待状に私は一人で出席したのだが、娘の年代の前後で私も見知っていた学生達は働き盛りになっていて、頂いた名刺からその活躍ぶりが読み取れた。先輩格でいらしたご父兄や関係者には体調不良風も散見された。発足の由来となった「決死のカウラ捕虜収容所集団脱走事件」は、戦時下では、’あってはならぬ(捕虜)・ありえぬ事’で公表されなかった。次回は当時の日本人ならば起こり得た(外国人には理解し難い)集団脱走事件に触れてみたい。