玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*沖縄への旅(二)

2012年11月27日 | 沖縄のこと

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 旅の初日の夜にホテル一階のホールで観た琉球舞踊は私たちを厳粛な気分にさせた。30分という短い時間だったが舞台では録音の楽曲に合わせて一人での女踊りが入れ替わり立ち替わり続いた。はるか昔に中国皇帝の使者の歓待の宴において踊られていた踊りなのかもしれないなどと勝手に想像してみたりした。優雅な手の動きがとても印象的だった。演技が一通り終わると簡単なカチャーシーの指導があった。沖縄の人たちが宴の締めくくりとして全員で踊るのがカチャーシーである。あっさりとさりげない指導に好感がもてた。

 私の手もとに「あわごんしゅぎ」という84ページの写真集がある。今回同行の3人にぜひ目を通して欲しくて持参した。生涯を平和運動にささげ「沖縄のガンジー」と呼ばれたのが阿波根昌鴻氏である。写真集は阿波根氏が101歳で生涯を閉じた2002年に出版された。限定販売1000部の自費出版をしたのは大西忠保氏である。10年ほど前に私が担任をした男子生徒の父親が大西氏である。沖縄本島の本部(もとぶ)港からフェリーで30分のところに伊江島がある。伊江島は沖縄の縮図ともいわれ、地上戦を体験し、戦後は土地を奪われ米軍基地が建設された。阿波根氏は伊江島の人々と共に非暴力の抵抗運動を続け、1984年には共に働き学び合う場として「わびあいの里」を開設した。

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 2日目はまず普天間基地の代替施設に予定されている辺野古を訪ねた。現在では辺野古移設反対、県外移設が沖縄の主張になっている。名護市の辺野古には米軍海兵隊の基地であるキャンプシュワブがある。国道329号より西側内陸部には訓練地区があり、東側海岸部にはキャンプ地区がある。道に迷って大浦湾に出ると、対岸が予定地の辺野古崎だという。逆戻りしてなんとか辺野古川河口の浜にたどり着いた。立ち入り禁止を示す海中まで突き出たコンクリートの土台と金網はまだ新しい。金網には県外移設、オスプレイ配備撤回などと染め抜かれた布が貼り付けられていた。伊江島行きのフェリーの出発まで時間があったので今帰仁(なきじん)城跡を訪ねることができた。今帰仁城跡をはじめとして1月から2月にかけて咲く本部町の寒緋桜は全国に紹介されることが多い。

 伊江島行きのフェリーは中学生でにぎわっていた。聞くと兵庫県宝塚市から来た中学3年の男女約150人の一行である。これから伊江島で4、5人のグループに分かれて2泊のホームステイが始まる。長年続いている学校行事だという。民宿「さんご 荘」は海水浴場の「伊江ビーチ」と「わびあいの里」がすぐ近くにあった。わびあいの里の施設内の「ヌチドゥタカラの家・反戦平和資料館」を訪れると人の気配が全くない。照明のスイッチは見学者が押して入るようにと貼り紙があった。阿波根さんが収集した多くの記録、資料の一部が展示されている。見学が終わって言葉もない。阿波根さん亡きあとは訪れる人も少なくなったのであろう。宿に上がる前に周囲が22㎞の島を一周することにした。平坦な島に一つポツンとそびえる172mの城山(ぐすくやま)の周囲をぐるりと回った。

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