いつもなら大寒に咲くロウバイやスイセンが遅れている。早や立春を迎えてこれから梅やマンサクはどうなるだろうか。私の住む地域では昨年ぐらいから宅地造成や道路建設などのために樹木の伐採がしきりと目立っている。相続税対策で農地を手放さざるを得ない農家もあるだろう。何十年も前に策定された道路計画が社会事情の変化にも関らず貫徹されようとしている場合もあるだろう。樹木の悲鳴が聞こえてくるようだ。新たに宅地開発が進行する一方で、放置され続ける空き家が増加するなどなかなかうまくいかないものだ。
市立図書館では毎年ブックリサイクルを実施している。一般書・児童書は年に2回、雑誌は1回の放出が行われる。放出日は休館日の翌日だからそれはいつも土曜日である。今年は1月の雑誌の放出の日に開館時間に合わせて出かけた。目指す本はかんたんに手に入れることができた。月刊誌の「NHK短歌」全12冊である。2年前の11年版だが、あまり読まれていないので白く輝いている。何をするということもない時などにページをめくり、そこで偶然出会う短歌を楽しむ。季節感のある雑誌で「巻頭秀歌」では歌意の解説や歌に関連した写真も楽しむことができる。
この記事のためにとりあえず4月号までざっと目を通してみた。いつのまにか08年に死去した「前登志夫」という作者名を探している自分がいた。現代短歌は、かつては「問題あり」と物議をかもした文語と口語の混在が、時代の自然な欲求として定着し、雑種の時代からさらには一首の中でのミックス化の時代と変化しつつあるという。前登志夫の短歌を支えてきたものの一つは文語の力であることは誰もが知る。それに吉野の山人として「いのち」を全うしたいさぎよさがこころを打つ。「いつまでも童子のままに老いたればふるさとの山夜半立ちあがる(前登志夫)」
連載記事に梅内美華子の「探索・うたことば」というのがあり、2月号では身体の部位の言葉が採りあげられていた。「胸乳(むなち)」→「身命(しんみょう)のきはまるときしあたたかき胸乳(むなち)を恋うと誰かいひけん(上田三四二)」 「陰(ほと)=女性の陰部。男性の陰部もさす」→「ミュンヘンにわが居りしとき夜ふけて陰(ほと)の白毛を切りて棄てにき(斉藤茂吉)」「山の樹に白き花咲きをみなごの生まれ来つる、ほとぞかなしき(前登志夫)」 「陰嚢(ふぐり)」→「深酒をあわれまれつつ湯にひとり己がふぐりを摑みて浸る(永田和宏)」 「魔羅(まら)」→「草萌えろ、木の芽も萌えろ、すんすんと春あけぼのの魔羅のさやけさ(前登志夫)」 リサイクルはいいことだ。