玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*梁塵秘抄

2013年04月10日 | 捨て猫の独り言

003

 清明の節気に入り玉川上水の若葉のトンネルが日一日と姿を変えている。土手一面にニリンソウが白い花を咲かせ、数少ないイチリンソウは別な場所でニリンソウより大きな花を咲かせている。ニリンソウは一本の茎の上が咲いてしばらくして下が咲き同時に咲くものではなさそうだ。この春は小さい姿をしたフデリンドウをいつもより多く見かけた。コナラやクヌギの雄花の花穂が緑道に落ちてそれらが敷きつめられた様子は、まるでオリーブイエロー色をした絨毯のようだ。

 今年もテレビでは午前中にMLBの中継が始まった。昨年はひいきチームのボストン・レッドソックスが東地区の最下位に沈んだ。ひじの手術後に再起を計った松坂投手は結果を出せずに解雇された。私が心配していたことが的中してバレンタイン監督は一年で解任された。それにしてもMLBにおける合理的で大胆で非情なチーム編成の手法はとても刺激的だ。しかし以前ほどMLBの熱心なテレビ観戦者ではなくなった。碁石を並べることの興味の方が増したからだろう。

009

 「遊びをせむとや生まれけむ 戯れせむとや生まれけむ 遊ぶ子供の声きけば 我が身さへこそゆるがるれ」これは梁塵秘抄の中で最も有名な歌だ。これまで私はこの歌は子供の頃の気持ちを持ち続けていたいと願う心がこもった歌だと理解していた。ところがこれはかなしい歌だと、ある本に書かれている。帝王学である和歌よりも、いやしい身分のものらが歌う「今様(現代流行歌)」に魅せられた後白河法皇が集大成したのが「梁塵秘抄」である。そのような成り立ちから見てもかなしい歌という理解の仕方に私はひかれてしまう。

 「わたしはこんな生活のために生まれてきたのか。遊び女、戯れ女とさげすまれ、もうこころも体もぼろぼろになってしまった。眼の前では子どもらが、なにも憂いのないはつらつとした声をあげて遊んでいる。わたしにもこんなときがあったのか。この汚れきった身の底の底からはげしく揺さぶられる、ああ、あの子供の声・・・・。わたしのいのちはみんな白昼夢のようなものだったのか」どこからか藤圭子の唄が聞こえてくるような気がした。(写真は上がニリンソウ下はイチリンソウ)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする