残すは6日、そろそろ帰り支度をせねばならない。来た時もそうだった様に、娘は朝私を空港に送り届けそのまま勤務に向かうはずだ。休暇は貴重でシングルマザーだから、子供の学校行事や登校不能に備え確保しておかねばならない。思えば私も随分逞しくなった。ろくに喋る事もできないのに、場所の移動だけは娘に頼らざるを得ないが、他の多くは何とかするしかないとすっかり覚悟しているからだ。先日我が家で夕食を共にした娘の友人は、孫2人を連れて飛行機を乗り継いで来た話に驚いていた。上の孫は必ずと言っていい程まごつく私に不安げで、私が人に物を尋ねると必死に聞いて協力してくれた。
乗り継ぎで困るのは、同じ航空会社でも、最初の入国地点で荷物を一端引き取り再度預けなければならないからだ。帰国便はその必要がない分とても気楽だが、ロスでの乗り継ぎは来た時と同じとはいえ逆方向で少々心配。「ババ どうして間違うの?」と聞く孫にいつも同じ空港だったら覚えられるのだけどと答える。それに米大陸は宏大だから、同じ国でも東西で4時間の時間差があることも難儀さに拍車をかける。 今迄の中継地点は、デトロイト、シカゴ、トロントだったが、今回初めて西海岸のロスだ。会社もアメリカン、エアーカナダ、デルタだった。今後はマイレージのこともあってデルタ一本にするという。
出発前旅行カバンを買い換えた。以前のは何しろ30年前初海外旅行時購入した代物だった。キャスターがすり減り取っ手もない。その際今後使うであろう頻度、帯同し移動に耐えられる容量等検討しながら求めたのだが、もう一回り小さくて良かった?。というのも、来る際は孫の物は夫々のリュックに詰めたが、ついつい日本からの買い出しが多くなり制限の23kg一杯になった。しかし帰りは自分の衣服は最小限だったし、ご近所や勤務先への土産以外に当地で求めたくなるものは何もないからだ。娘はこの春、一流企業の帝人から聞きなれない日本のアメリカ支社に変わった。日本人の陥る思考が抜けず少なからず不安視していたのだが、社長氏からご招待を受け食事をご一緒させて頂いた。その後夏休暇を日本で過ごされた社長の「糠床」を2週間かき回し、明日再度お食事を御一緒させて頂く事になっている。加えて買い物に行った際、特徴の傷を持つ娘の車を見つけた前会社の社長氏にも会い挨拶出来た。何というオマケ付のアメリカ滞在であったことか。
写真は週末のプール。街角(生ガキ食べに)。娘の友人は夫が改造したキッチンバスで弁当を売る。