昨夜、娘の会社の社長氏と再度夕食を共にさせて頂いた。事情が重なって子供連れになり、それでもいらっしゃいと言って頂いた。帰国されて間もなくで、広島の惨事や元野球部だったという彼は、甲子園がらみの高校野球を熱く語られた。甲子園物語が、日本の一つの風物詩と読んだことがあるが正にそうで、夏休暇をこの時期に合わせ帰国される心情が、私の心を又熱くさせた。3人のお子さんは米国生まれだが、夫々の受験の都合で帰国され10年近く単身赴任だという。外国で日本語学習を継続する困難さも重々語られた。
過日私がちょっとだけシッターをしたお子さんは現在小学2年生。年中の妹や母親との日常会話は父親不在の時間は全て日本語だとその知人は言っていた。我が家の場合日本にいる姉妹間は日本語にしてと言ってはみたがすぐ英語に戻っていたし、ひらがながやっとの孫には漢字はいいから平仮名を覚える様に言ってもいた。当のお子さんは週末には日本語学校に通っているといい、ここで宿題の漢字を書いていた。書順も間違わない。うちの場合平仮名でさえ書順は怪しい。言い過ぎても返って苦手意識に通じそうだし、一度覚えてしまっている物の訂正は難しい。上記の社長も、滞米中の奥様の学校に関する苦労は、奥様に任せるしかない中で大変だったと述懐し、妻は6才年下だが私の方が「今も全てハイですよ」と笑われた。
娘が来米した際、最初の職場がノースカロライナの週末の日本語学校だった。そこは週末だけの為現地校の一部を間借りしていたし、かなり広範囲から時間をかけて親子で通学していた。娘には大学在学中に教員免許だけは取っとくように言い置いたのだが、本人には母親の思いは伝わらなかった。教員は勤務時間数も少なく、事務職の方がいいのだと強がったりもした。兎も角当時から私も、週末日本語学級やそこでの運動会を訪ねており、当事者の負担度を感じさせられてもいたので、専業主婦でない娘に今以上望むのはムリと観念している。かって物を書き始めた岸恵子さんが、翻訳した絵本の読み語りを私の居住地でなさったことがある。自分が書いたものは誰よりも娘に読んで欲しいのだけど、喋る事は出来ても、読む事が出来ないのは何とも悲しいと洩らされていた。