だいぶ前のできごとのように感じていたが、よく考えてみるとまだ二年も経っていない。君が沖縄旅行を提案し、それがおなじ職場の退職四人男の旅行として実現したのは一昨年の十一月だった。四人の中で沖縄がまるで初めてだったのは君だけだった。君は沖縄に多少の縁のある僕に旅程の作成を指示し、レンタカーの運転は俺に任せろと言った。僕はこれまでも幾度となく君の家に上がり込んで飲ませてもらったが、沖縄旅行の話も君の家で始まった。
教室で君が板書する文字は美しく好評だった。職場は家庭的な雰囲気に満ちていて教師も生徒も居心地がよかった。そのうち君とは家族ぐるみのおつき合いをさせてもらうようになった。ちょうどそれぞれに同じ年の二人の子供がいた。子供が幼い頃に三家族でスキーの旅行に出かけたこともある。南国生まれの僕にはスキーは馴染みがない。思えばそれは雪国に育った君の発案だったのかもしれない。君は僕より一歳年上で卒業後は回り道することなく就職した。そこへ回り道をした僕が就職する。君が初めて僕を見かけたのは就任手続きで事務室で説明を受けている姿だったと最近ぽつりと話してくれた。
君は世話好きで涙もろくて謙虚だった。君の普通でない隣人愛が周囲をあきれさせたことがあった。これについては君だけでなく君の奥様も君に歩調を合わせていたね。一人の幼い女の子がいる家族を手助けしているちに、全く血縁のないその家族と家族以上の生活が始まり今でもその生活は続いているという。あきれ顔の僕に君は平然と話すのだった。あるときには「地球上のこの土地の一角を囲い込み、これは俺のものだと主張している我々は何かおかしくないか」と君は主張した。
とても真似できないが、君の家には稀に卒業生が泊ることもあった。それは奥様の存在も大きいが、君の人柄のせいでもあるだろう。君の関係する卒業生のおかげで沖縄でのレンタカーの料金は割引になった。伊江島では民宿に泊まり、その翌日は辺野古の海を見た。そんな沖縄旅行を終えて年を越して三月を迎えた時に、君から旅行の反省会をするから集まれとの招きがあった。その時に君は分厚い旅行のアルバムを三冊作成して一人一人に配った。その八カ月後に君の体に異変が起きたのを知る。入退院の繰り返しと聞いていたが、とうとう八月二十一日に君の訃報が届いた。