年頭には秩父の加藤さん宅で四人だけの新年会、10月には家人と椋神社の龍勢まつりの見学と、今年はよく秩父に出かけた。そして秩父夜祭の前日に思いがけなく加藤さんから角封筒が届いた。中に厚手の紙の「秩父夜祭・観光祭行事表」が八つ折にされて入っていた。明日の夜祭に関するすべての情報が書かれている。ならばと当日の予定をやりくりして急遽一人で出かけた。飯能で乗り換えると車内は混雑し、立ち続けること1時間で午後4時に西武秩父駅に到着した。
11月25日からは秩父市の各地区では、秩父屋台ばやしの練習会の「太鼓ならし」が始まったという。子供から大人までが交代で「ドドンコ、ドコドン」と大小の太鼓を打ち鳴らし参加者には小豆が入った恒例の「力がゆ」が振る舞われる。年ごとに当番が回ってきて住民総出で祭りを守り続ける。午後7時には6地区の笠鉾・屋台が順に秩父神社を出発して「御旅所」に向かう。まず私はその秩父神社を目指した。両側に露店が並ぶ「番場通り」を行くのだが人垣に阻まれてなかなか前に進めない。
秩父神社前には下郷(したごう)笠鉾、境内には中近笠鉾と宮地屋台があった。この配置は翌日の加藤さんとの電話の中で知ったことだ。大勢が並ぶ本殿のお参りは省略して神社を出る。神社近くの本町(もとまち)交差点のコンビニの駐車場広場で立ったままで軽食を取り、秩父錦のワンカップをちびりちびりやりながら行列を待った。まず神輿1基、御神馬2頭などの神社行列があり、間をおいて中近笠鉾が交差点に入ってきた。方向転換のためにテコの応用で持ち上げる「ギリ回し」で重さ数十トンの笠鉾が軋みながら大きく傾いた。
交差点の交通規制が解かれると私はすぐに人垣を抜けて道路に飛び出した。それから中近笠鉾の後ろを進むはっぴ姿の集団に紛れ込んだ。そして私もわっしょいの掛け声をかけながら歩き始めた。つまり見物される側へと立場を変えたわけである。このことを加藤さんに話すと大笑いしてうまくやりましたねとほめてくれた。実は30年前に加藤さんが中近会所の当番であった時に夜祭に招待されている。そしてはっぴ姿の二人で中近笠鉾を引いたことがある。その経験があって私の今回のとっさの行動となったのだろう。7時半から次々に打ち上げられる花火を車窓に眺めつつ8時の電車で帰宅した。見どころの団子坂の引き上げは省略した。翌日の新聞は「ユネスコ遺産登録で32万人の人出」と中近笠鉾の写真と共に大きく報じていた。