玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*沖縄と核

2018年01月11日 | 捨て猫の独り言

 暮れにNHKスペシャル「沖縄と核」の再放送を録画し、繰り返し二回見た。1962年10月のキューバ危機の際に、沖縄に配備されていた核ミサイル「メースB」の基地の元アメリカ兵の証言は私にとって衝撃的だった。沖縄ではメースBは当初は無人飛行機と発表され、核ミサイルであることは伏せられていた。

 その元アメリカ兵は「私は恐怖で泣いていました。第三次世界大戦がはじまるのです」と当時を振り返り涙を流す。よみがえる恐怖の涙なのである。当時私は高校3年だったが、キューバ危機は報道で知りながら、身近の沖縄で核戦争の瀬戸際の恐怖にさらされていた人々が存在したことは知らないでいた。

 番組ではメースBの配備を巡る日米のやりとりも取り上げていた。外務大臣小坂善太郎、国務長官ラスク、駐日大使ライシャワーの発言が残されている。唖然としてしまう日本政府外交の志の低さである。小坂「沖縄にメースBなどの武器を持ち込まれる際、事前に一々発表されるため論議が起きているが、これを事前には発表しないことはできないか」ラスク「何らかの発表を行うことは必要と思われるし、いずれにせよ隠しおおせることはできないと思う」

 ライシャワー「なにも発表しないで後からわかっては一層具合が悪いのではないか」小坂「事後に判明する場合には今さら騒いでも仕方がないということで論議は割合に起きない。事前に発表されるとなぜ止めないのかといって日本政府が責められる結果となる」沖縄返還に当たり、沖縄にも非核三原則を適用するよう求める琉球政府立法議員の陳情に対して、核抑止力の維持に直面していた佐藤総理は「出て行け、出て行け、出て行け、出て行け」と怒り散らしたという。大陸間弾道ミサイルや潜水艦発射弾道ミサイルの開発で、現在は沖縄に核兵器は存在しないという。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする