玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*西郷どん

2018年01月01日 | 捨て猫の独り言

 例年通り、暮れに鹿児島銀行の2018年の一枚カレンダーが届いた。空と海にはさまれた桜島の写真だ。寺山地区から撮影とある。維新150年に当たり、NHKの大河ドラマ「西郷どん」が1月7日から放送される。明治10年の2月「政府に尋問の筋あり」として西郷軍の先発隊が鹿児島を出発して、熊本城と田原坂の激闘があり9月に西南戦争が終結した。西郷隆盛51歳だった。

  

 32歳の7月京都にいた西郷のもとに、斉彬急死の報が届く。殉死を思うも、僧月照に止められる。安政の大獄から月照を保護すべく共に京都を脱出。薩摩藩は月照の日向追放を決定。錦江湾で藩船の上から、月照を抱き込むようにして水中に身を投じた。だが体格のよい西郷は蘇生、小柄で痩身、しかも年をとっていた月照は水死。

 藩は西郷の職を解き奄美大島に潜居させる。33歳の11月愛加那を「島妻」とし結婚。菊次郎と菊子が生まれる。彼女は島妻ゆえに、内地の土を踏むことが許されない。36歳鹿児島へ召喚されるが、久光の命を破り、京都から鹿児島に送還され、徳之島さらに沖永良部島に遠島を命じられる。この年の8月に生麦事件が発生。37歳薩英戦争の報が入り島からの脱出を試みる。

 38歳2月21日に西郷従道が島に召喚に出向く。28日に鹿児島に帰還。3月に京都へ。9月に勝海舟と面談。第一次長州征伐に際し、勝の意見に感服。39歳の1月23歳のイト(糸子)と結婚。寅太郎、牛次郎、酉三が生まれる。イトは愛加那の子を引きとり、愛情をもって育て上げた。それは菊次郎が8歳の時で、その菊次郎は後に台湾の宜蘭(ぎらん)庁長や京都市長を務めた。西郷の理想の部分を最もよく受け継いだ人物と言われる。

コメント
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