週刊金曜日の記事「鈴木邦男ハンセイの記」はこの3月5日号で30回目の最終回が終了した。鈴木は新左翼に対して新右翼と称されて1943年生まれである。この連載記事でその存在を知り、さらにその著作を少しばかり読んだ。とぼけた味のある軽妙な文章である。
ウイキペディアには鈴木の職業は作家・政治活動家で「一水会」の名誉顧問とある。その「一水会」とは三島事件後の1972年に創設され、対米自立を掲げる思想探究団体とある。今の時代は言論で闘えるのに、そこから逃げて「テロしかない」と言うのは卑怯だというのが鈴木の主張の眼目だ。
最終回記事の内容は1987年の赤報隊による、朝日新聞阪神支局への銃撃・殺傷事件だった。連載の企画者から最終回のテーマは赤報隊と決められていたという。なぜなら、あの事件については鈴木邦男黒幕説が流れたことがあるからだ。赤報隊事件が時効を迎える直前の02年に鈴木の住んでいたアパート「みやま壮」が放火された。
放火事件の当時、鈴木は公安警察に対する不信をいくつかの週刊誌に話したことがあるという。どの社からも荒唐無稽とボツにされた。「そうかなぁ、といまだに僕は思っている」が連載の最後の一行だった。見出しは「みやま壮への放火に警察の関与はあったのか」だった。(完)