「人は土から生まれて土に帰る」とあるように、昔の人は人の死を「土に帰る」と言った。土は宇宙と言い換えることができる。わたしたちは宇宙から誕生し、しばらく生きてそのうち宇宙(元あった場所)へとただ帰るだけである。
養老先生の解釈にかかるとつぎのようになる。現代人は田んぼを見て「アレが将来の自分だ」などと思うまい。なぜなら人は自分と周囲を「切る」からである。だからそれを「人を取り巻く環境」だ、などと思うのである。でもその環境の一部がやがて自分になってしまうのだから、いったいどこまでが自分なのか。
さて頭の中に地図があって、その地図のどこに「自分がいるか」その「自分」を決めなきゃならない。だから地図と同時に自分ができた。養老先生はそう思った。街で案内図を見る。そこには「現在位置」が矢印で書いてある。案内図自身の位置が描いてなかったら、いくら案内図があっても意味がない。
案内図がいわば「環境」で、矢印が「自分」である。「自分」のそもそもの始まりはそこにあると思う。脳の中で自分の位置を決める。そのいちばん「古い」働きはじつは幽体離脱だと思う。常識に反して、最初にできたのは、たぶん上から見た地図、つまり幽体離脱のほうだと思う。自分が「二つ」になるのはなぜか。わからない。でも自分とははじめからともかく「一つではない」らしい。