会社・学校・家族には強固で閉じた人間関係が存在する。そのことに息苦しさを感じて、その人間関係を半分降りることを選択する人が多くなっているという。問題は、降りた先で「別の居場所(オルタナティブスペース)」が少ないことだ。そのパイオニアである「だめ連」が結成されたのは30年前。早稲田大学の同窓生だった二人が退職と留年をきっかけに再会したことで生まれた。
それは競争社会に異を唱える人の集まり。資本主義に絡め取られず生きる。アナーキスト、ミュージシャン、心の病を患った人々。だめ連界隈には自然と人が集まる。なんとなくJR中央線沿いに集まって住み、なんとなく助け合う。「集住」と名づけた。デモもして抗議の声をみんなであげる。
そんな記事の横に「吉本ばなな」の談話が載っていた。「最近の若者を見ていると、それぞれのコミュニティーをよりどころにして、上手に暮らしていますよね。たとえばなにかお店を始めても、稼ぎたいとはならない。宣伝さえ積極的ではない。それよりは気の合う知り合いに長く来て欲しい、と。時代だなと思います」
「家族がよりどころって、昔は話しましたけど、趣味ですね。趣味で毎日会ってる。日々の暮らしをしている。結局、幸せって、生活の中にあるんだと思います。掃除をしたり、ごはんをつくったり、洗濯したり。そのことじたいが、幸せなことだったと気づく。だって、みんな年を取るんですからね。いつかだんだん生活ができなくなってくる。自分で着換えられて、瓶のふたが開けられて。もうそれが幸せなことなんだと思います。きちんと、生活することがいちばんです」この言葉に大いに共鳴し、さすがだなと思った。