昨年死去したゴルバチョフ元大統領は沖縄を3度訪問している。はじめの沖縄訪問を推し進めたのは、翁長雄志那覇市長だった。翁長さんは2014年に県知事選で当選するまで2000年から4期連続で那覇市長に就任していたが、2001年に那覇市制80周年を迎えたとき、記念する講演会にゴルバチョフを招待した。
招待について翁長さんから相談を受けた当時那覇市長公室長の宮里千里さんは、「保革の分断を乗り越える術を学びたい、という思いがあったのだろう」と述べている。ちなみに、宮里さんは那覇市職労の幹部であったが、保革の壁を破りたいという翁長さんの要望で、市長公室長という要職に就いたのだった。
2022年、国際平和の推進や環境問題に取り組むことを目的としたゴルバチョフ財団日本支部が那覇市に設立された。2003年、那覇市庁舎の一角に「私たちは地球という惑星の子ども」というタイトルの「ゴルバチョフ氏来訪記念碑」が建てられた。翁長さんの卓越した政治感覚がゴルバチョフの沖縄訪問を実現させたといえる。
その後ゴルバチョフはたびたび地元紙にメッセージを寄せた。「沖縄は軍事基地の島でなく、沖縄の人々の島であり続けなければならない」と自己決定権の行使を求めた。また「沖縄は世界貿易の交差点に位置し、戦略的安定の維持に極めて重要な場所」と指摘。「人間の安全保障(ヒューマン・セキュリティー)」のフォーラムを沖縄で開き世界に発信するよう求めていた。