先月NHKBSで1970年日本公開のアメリカ映画「いちご白書」を観た。1968年コロンビア大学に軍の施設を設計する動きが現れる、そこで学生たちはストライキを起こす。そんな中、ボート部の学生は活動家の女性に恋をし、その活動にのめり込んでゆく。映画は講堂に立てこもる学生に対して警棒が打ちおろされる壮絶なシーンで終わる。
半世紀以上前の1970年、アメリカはベトナム戦争を継続し反戦運動が盛んだった。日本では1969年の1月に安田講堂占拠事件があり、当時私は長きにわたり人生の迷路に迷いこみ、もがいていたがなんとか生きていくことに決めて周囲の助けもありこの年の4月に就職した。翌年の70年には三島事件が起きた。大学紛争の体験記である映画「いちご白書」はこの歳になるまで観ることなく過ごした。
フォークソング「いちご白書をもう一度」も流行っていた(ようだ)。すべて「いちご白書」に関わることは曖昧なまま言葉だけがかすかな記憶として残っていた。コロンビア大学の学長が学生の交わしていた政治的な議論を「所詮、苺が好きか嫌いかといった程度の議論だ」とからかったことに対する当てつけだと今になって知った。
「昨日少年が外の世界に踏み出した 瓶の中にトンボを捕まえて とどろく雷の音におびえ 流れ星を眺めて涙した 〈略〉 明日を夢みていた少年は20歳になった かつての夢は実現し輝きを失ったけれど 新たな夢が沢山生まれるだろう 青春の最後の年が終わる前に そして季節は巡りまた巡る 木馬たちは上え下えと動く 人は皆、時の回転木馬に乗せられて 後戻りできずに振り返るだけ ぐるぐる回りながら必死に生きていくだけ」映画の最初と最後にこのような詩が流れる。