辞書には、喃語とは乳児が発するアーアーとかブブブというような繰り返し音。言語の習得に先立って生理的に発せられる音声とある。朝日新聞は11月19日の夕刊と翌日の朝刊で、谷川俊太郎さんの死去をどちらも一面トップで報じた。20日の朝刊には詩人の佐々木幹郎氏のつぎの寄稿文があった。
「文化面に毎月一回掲載された〈どこからか言葉が〉と題した谷川さんの詩の欄は、谷川さんが13日に亡くなった後、17日に〈感謝〉と題した詩で締めくくられた。いつ書かれたのかわからないが、おそらく意識が遠のいていた時期に、側近の方が手配したのであろう。もし谷川さんが生きていたら、そういう死の直後の自分の詩の発表の仕方をおもいっきりからかったかもしれない」
また佐々木氏は、谷川さんのつぎの言葉を紹介している。「人の年齢を私は樹木の年輪の喩で語るようにしているのですが、老齢にはその年齢の中心に向かう動きもあるようです。意味ある言葉とともに、喃語のような脳とともに身体から生じる言葉、意味よりも存在そのものに触れる言葉を今の私は夢みています」
それと関連する谷川語録を拾ってみた。「何歳になっても子どもの視点で詩を書く。言葉上だけで子供になるってことはないんですよ。こどもの気持ちになるのとも違う。言語はもともと古い歴史を持っているでしょう。言語そのものが持つ古さって体が知っているんじゃないかと思っているんですよね」
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