ブログ「海鳴りの島から」が10月11日に再開された。そこには簡単な挨拶があった。「久しぶりに辺野古の抗議行動に参加したが、もと国語教師とて、この1ヶ月余のことを10字以内にまとめると以下の通り。『いろいろあった』 参考/清水義範(国語入試問題必勝法)」目取真俊氏の体調の問題ではなかったようで、これでひと安心である。無償の抗議活動では手弁当代を稼ぐ必要もあるだろう。
カレンダーの季節になった。大安や仏滅といった概念は、古代中国の「六曜」という暦の考え方に基づいている。大安、仏滅のほか、友引、先負、先勝、赤口の六つの星のめぐりによって吉凶を占う。暦にはいまだに「六曜」が入ったものが多い。これは暦業者の販売戦略にすぎないようだ。仏滅は江戸時代には「物滅」で、物がなくなったり、物事がうまくいかなくなったりを表していた。いまやカレンダーは祝日・休日だけのシンプルなものや、それに二十四節気を加えたものなどが主流になりつつある。
今年の柿の収穫は予想以上だった。葉がほとんど落ちても、まだ実をいくらか残している。そして空き家となった燐家には、小ぶりの2本の柿の木がある。一つは渋柿である。時おり親族が荒れた庭を整えに来る。その方たちは柿は食べないという。柿食わぬ人もいるものだと驚いた。許可を得た私どもは、去年から燐家の渋柿で干し柿づくりを始めた。
今年もその渋柿をいただくことになり、勇んで取り込んだ。しばらくて、取り返しのつかないヘマをしたことに気づいた。吊るすためには、T字型に枝を残す必要がある。昨年はそれを実践したが、今回はすっかり忘れていて、すべて甘がきの場合と同じように枝を短くカットしてしまった。これでは引っ掛かりがなく吊るすことができない。その後、このことに私がどう対処したかは機会があれば報告したいと思う。
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