玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*東京漂流

2018年08月19日 | 捨て猫の独り言

 東京に流れ着いたのは26歳のときだ。まず田無市(現在の西東京市)に4年の借家住まい、つぎに埼玉の所沢近郊に1年住んだ。そして幼い長男と長女を連れて、玉川上水の近くの現在の場所に引っ越した。このとき不動産扱いの才覚などない私は、ただ流れに身を任せていた。

 移り住んだ物件は、老女が一人で住み、朽ちた木造の2階には津田塾大学の学生が4名入居していた。ありがたいことに、その下宿代がローンの返済の一部にあてられた。当時は創価高校の女子学生を受け入れる賄付き下宿が多く存在する地域だった。(7月に不忍の池あたりで)

 

 老女は売却後に近くの知人のアパートに移り住み、国内各地の旅行に出かけていたようだが、しばらくして亡くなられたと聞いた。下宿の学生に区切りがついたところで、我が家の積極派は下宿屋を解体して住居を新築してしまう。庭の池や、ツゲの生け垣はそのまま残した。敷地の一角に国鉄の送電線が架かり、その建築規制に対して、わずかな補償金が支払われていた。

 思いがけない転機が訪れる。送電線が国鉄の分割民営化を前に撤去されたのだ。我が家の積極派は土地を十分に活用すべく、自ら設計図を描いて再度の新築に意欲を燃やす。自らの大病もあった年の翌年、15年間だけ住んで、まだ新しい家を解体して計画は実行された。阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件があった年だ。あの時からすでに23年が経過した。あれは正しい決断だったというのに十分な年月だ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« *掘り出しもの | トップ | アトランタ・新学期 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

捨て猫の独り言」カテゴリの最新記事