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「古代アンデスの染織と文化」-アンデスの染色Ⅲ-   上野 八重子

2017-08-06 10:20:54 | 上野八重子
◆ウチワサボテンに寄生するコチニール(白い部分)


◆黄+赤+藍の染め重ね(豊雲記念館蔵)
 
◆コチニール染めの飾り房ポンチョ(豊雲記念館蔵)

◆小豆大の虫(コチニール) 

◆白い粉を落とした状態
 
◆天日干し・乾燥具合により色が違う


2006年4月10日発行のART&CRAFT FORUM 40号に掲載した記事を改めて下記します。


「古代アンデスの染織と文化」-アンデスの染色Ⅲ-   上野 八重子

 ◆アンデスは赤色の宝庫
 本や博物館収蔵の染織品を見ると赤色が非常に多く使われている事に気付かれるでしょう。
一口に赤色と言った場合、橙色から深い赤茶色まで様々な赤系色を指し、それぞれ染材料も異なります。今回はアンデス地域で特に多く使われている染料、コチニールにふれてみたいと思います。
 では、何故アンデスではコチニール染色が多く行われていたのでしょうか? これは単純に「身近に虫が沢山いたから…」だと思われます。
コチニールはウチワサボテンに付く寄生虫で、産卵前の雌の体から鮮やかな赤色を製します。コチニール虫が食するサボテンの生育は四季がある日本では難しい事ですが、赤道近くに位置するアンデスでは海岸地帯の砂漠で容易に育てる事が出来、これもまた染色の地域性と言えるでしょう。
 コチニールとして発見されたのは新大陸発見後の15世紀にメキシコで見つかり、ヨーロッパにもたらされされて軍服やゴブラン織り、カーペットに使われ、日本へも南蛮貿易によって渡来しショウジョウヒと呼ばれる赤い羅紗の陣羽織等を染めていました。17世紀の中頃、オランダ人科学者により、錫塩発色で鮮やかな赤色が出せる事がわかってから更に人気が上がりました。しかし中南米では紀元前数百年の遺跡からコチニールで染めた染織品が発掘されています。更に紀元2~6世紀のナスカ文化期(注1)になると一段と色彩は鮮やかさを増し、技法的にも高度で複雑な染織品へと発展しています。

 アンデス染織品の赤色を見る時、明らかにコチニール染めとわかる赤と、コチニールとも茜ともつかない赤があり「何だろう?」と思う事が多々あります。現在の定義づけられた草木染では考えられない全く違う染色法があったのでは? 染色資料の残っていない中では憶測でしか考えられませんが前号で記しているように単に自然界にあるもの(媒染剤の役割をするもの)を経験の中から使っていたのではと思うのです。もし、分析が許される機会がありましたら是非とも調べてみたいと思う事の一つです。又これら多種の赤色をみていると現代の染色法を駆使して染め出してみたい思いに駆られます。今後まとめてみたい研究課題です。

◆コチニール3キロくださーい!
 ペルーの首都、リマから山岳地帯の町ワンカイヨに向かう道路を2時間程走ったところに大きなコチニール生産農園があります。幹線道路から脇道に入ると間もなく北海道の平原を思わせる広大なサボテン畑が目に飛び込んできます。作業小屋を見つけ出し、売ってくれるよう交渉したのですが「小分けはしていないので3キロなんて少量では売れない」と、つれない返事。こちらとすればコチニールを3キロ買うなんて大変な量なのですが… 紹介者の名を伝え、ねばった末にOKが出て「少ないから割高だよ」と言うものの1㎏¥9200はやはり格安です(1997年)。そして何よりも新鮮!
 採集時の雌コチニールは大きさも体つきも小豆のようにコロンとして、貝殻虫という硬いイメージに反して触るとプヨプヨしています。サボテンに寄生している時は紫外線から身を守る為に白い粉に覆われていますが、採集後すぐにふるいにかけられ粉を落とされてそのまま灼熱の天日干しにされます。逃げたくても退化した足ではどうにもならないのです。私達が入手出来るコチニールはこのような乾燥後の虫なのです。 
写真を見ての通り、群がる中でどれが雌なのか?と採取法を考えてしまいますが実は全部雌なのです。貝殻虫の一種であるこの虫の雄は交尾の時に飛んで来るだけ、雌はサボテンに卵を産み付け、生まれた幼虫は自分の居場所を決めるとそこから動かなくなり、一生その場で過ごす事になるとのこと。雌が動くのは生まれたてに住み着く場所を探す時だけ…と聞き「人間に生まれてきて良かった!」と思うのは私だけでしょうか!
 染色の時「これは虫なんですよ」と言うと「エーッ」という声が上がりますがコチニールは染色以外にも、カルミン酸という色素は日本画の絵の具、赤インク、ケチャップ、赤蒲鉾、化粧品の着色料として使われていますので誰もが知らない内に口にしている訳です。近年アメリカでは合成着色料が禁止され、赤色はコチニールを使うようになりましたので値段が高騰してしまいました。他に生物学でバクテリアや生体の組織染色に用いられています。 

 ◆赤から発する色
  
 古代アンデスの赤色はコチニール以外に茜も確認されています。しかし現在、リマの染織家は「ペルーで茜を見た事がないと言っています。」日本で茜を考えるとき、日本茜、西洋茜、インド茜ですが、アンデスの茜がそれと同じとは思えないのです。なぜなら、気候風土が全く違いますので、草系の茜(日本茜、西洋茜)ではなくチャイや日本名・八重山青木のような木系ではなかったかと考えるのです。アマゾンを懐に持つ地域には藍と同じように全く別物があったとも考えられるのではないでしょうか。
 先月、古代染織品の染色を主に調べるため豊雲記念館にお願いし見せていただく機会を得ました。基本色は赤、黄、青、茶(濃淡はありますが)。橙、緑、紫、臙脂、黒は染め重ねにより出しています。黒は今までナチュラルカラーと思っていたのですが、ルーペで見てみると微かに赤色が見えるのです。コチニール又は茜で赤色に染めた後に藍やタンニン系で染め重ねたのでしょう。この2色を微妙な濃淡で下染め、上掛けに組み合わせて紫、臙脂、黒、焦げ茶まで無数の色を出しています。科学的な3原色の知識もなかったであろう紀元前6世紀の染織品にすでに混色がなされていた訳です。理屈ではなく実践と言う事でしょうか。リマの染織家が言った「秤もなかった時代に何を何gなんてやってる訳無いじゃない」という言葉と混色、混媒染がよみがえってきます。
染色の話はひとまずここ迄とし、次回からは少しずつ技法に触れてみたいと思います。    (つづく)

(注1) 紀元前3世紀~紀元6世紀にかけてペルー南部海岸のイカ川、グランデ川流域に栄えた文化。ナスカの地上絵でも有名な地。現在でもコチニール生産農園がある。





インドネシアの絣(イカット)-イカットのプロセス(1)絣括り- 富田和子

2017-08-03 09:35:42 | 富田和子
◆[絣括り]

 [絣括り] 糸を染める前に防染部分を作る作業を絣括りと言う。模様(図案)に合わせてひもやテープなどで糸束を括り、染料が浸透しないようにして糸を染める。

[染色後] 糸を染めたあと括った部分を解くと、染料が浸透せずに白く残り模様が現れる。 このようにして染め分けた糸を機に掛けて織ると絣模様となって現れる。


◆絣括り:ロテ島 白く残す部分は青いテープ、赤く染める部分は赤いテープで括ってある。まず全体を黒で染め、次に赤いテープを解き赤を染め、最後に青いテープを解くと黒地に赤と白の絣模様が出来上がる

◆刷り込み技法による絣糸作り:バリ島

◆経緯絣の緯糸の絣括り:バリ島

◆紙に描かれた図案:サブ島

◆経絣の絣括り:スンバ島

2006年4月10日発行のART&CRAFT FORUM 40号に掲載した記事を改めて下記します。

インドネシアの絣(イカット)-イカットのプロセス(1)絣括り- 富田和子

 ◆織る前に糸を括る
 経糸と緯糸によって作られる織物に模様を表すためには様々な技法がある。平織、綾織、捩織(もじりおり)、二重織、紋織、浮織、綴織(つづれおり)などの糸の組織を変化させたもの、縞模様や格子模様などの糸の配色によるもの、また各技法を組み合わせたりもする。 「絣」も数ある織技法の一種であるが、糸を染める前の準備の段階で「絣括り」を行うということが、織りながら模様を作り出していく他の技法とは大きく異なっている。つまり、絣の重要な技法は模様を表すため、織る前に糸を染め分けることである。

[絣括り] 糸を染める前に防染部分を作る作業を絣括りと言う。模様(図案)に合わせてひもやテープなどで糸束を括り、染料が浸透しないようにして糸を染める。

 [染色後] 糸を染めたあと括った部分を解くと、染料が浸透せずに白く残り模様が現れる。 このようにして染め分けた糸を機に掛けて織ると絣模様となって現れる。

インドネシアの絣は一般的にイカットと呼ばれているが、本来インドネシアには絣を意味する共通語はなく、それぞれの地域ごと、あるいは民族ごとに異なる独自の名称で呼ばれている。「イカット」とはインドネシア語で「結ぶ・括る・縛る」という意味であり、この言葉がインドネシアの絣織物の総称として転用されるようになったのも、絣括りが他の織物とは異なる特徴的な技法であることを示している。そして、「イカット」が現在「絣」を表す世界共通の染織用語として使われていることは、インドネシアの絣の豊富さを物語っている。

◆イカットの種類
 イカットは絣糸の用い方により、次のように分けられる。

 ※経絣(たてがすり)…経糸のみに絣糸を使って織ったもの
インドネシアでは経絣が最も多く制作され、各地で織られているが、中でもバリ島の東に位置するヌサ・トゥンガラ地方の島々では、今でも木綿の経絣が盛んに織られている。織機は数本の棒から成るシンプルな腰機が使用されている。かつては糸紡ぎから、天然染料による糸染め、織りに至る全行程に渡って、自給自足的に各家庭ごとに制作されていたが、現在では糸は市販のものを使う場合も多い。また、地域によってはすべて化学染料に変わってしまったり、あるいは、絣部分は天然染料で染め、無地や縞模様の部分は市販の色糸を使用するところもある。

 ※緯絣(よこがすり)…緯糸のみに絣糸を使って織ったもの
バリ島、スラウェシ島、スマトラ島など一部の地域で木綿、または絹の緯絣が織られている。括り技法と刷り込み技法とが併用され、多色使いのものが多い。糸を何色かに染め分ける場合は、他の染液で染まらないように色ごとに括って防染しなければならないが、括る作業はとても手間が掛かるので、刷り込み技法も行われている。棒の先に糸を巻き、染料を染み込ませて、糸束に直接染料を刷り込む方法で、化学染料ならではの技法である。飛杼装置を備えた高機で織られ、工房や小規模な工場で分業され、量産されている。

 ※経緯絣(たてよこがすり)…経糸と緯糸の両方に絣糸を使い、双方の糸を織り合わせて模様を表したもの
経緯絣はバリ島東部のトゥガナン村で唯一織られている。手紡ぎによる木綿糸を用い、経糸、緯糸共に絣括りを行い、天然染料による糸染めで伝統的な模様が伝承されている。織機は経絣と同様にシンプルな腰機が使用されている。基本的には各家庭ごとに制作されるが、手紡ぎによる木綿糸はバリ島隣ののプニダ島で作られ、藍染めに関してはこの村で染めることを禁じられており、近くのブグブグ村で一件だけ藍染めを行っている家に委託する。

◆今日の絣括り事情
本来、布を織るのは女性の仕事である。イカットが織られている地域の各家庭では、母から娘へと技術が受け継がれていく。仕事をする母の傍らで子供達は遊び、幼い頃から見よう見まねで手伝いをしながら育つ。 私達が絣括りを
するときには、方眼用紙に描いた図案はなくてはならないものだが、子供の頃から習い覚えた彼女たちにとっては必要のないものである。一般的にはまっさらな糸束を迷うことなく、経験と勘により括っていくが、それも地域の事情によって多少の違いがある。

 バリ島トゥガナン村では、絣括りの一単位の糸束をを横線と見なし、煤を水で溶いた液で縦線を描き加え、糸上に升目を作る。絣模様の図案として、刺繍のキャンバス地に、実際に染め分ける色と同じ黄・赤・黒の3色の毛糸でクロスステッチをしたものが作られており、経糸、緯糸と共に同じ図案を使う。経緯絣を織るためには双方の糸を正確に染め分けなければ織り合わせることができないので、より正確な図案が必要になるのではないかと思う。

ロテ島・サブ島では、他の地域では見たことのない紙に描かれた図案があった。3㎜ほどの細かい升目だが、島には方眼紙が無いので、紙に自分で線を引いて作った方眼紙である。1枚の布のデザインとしての図案というわけではなく、いろいろな模様が部分的に描かれており、図案集のようなものである。 同じスンバ島でも、それまでは図案や下絵を見たことがなかったが、ある村では糸に直接下絵を描き、赤と青で色分けもされていた。しかも、括り手は男性で3人がかりである。イカット作りは女性の仕事であり、例えばフローレス島では、男性が機織りをすると水害などの災難が起きると言って嫌がる村もあった。インドネシアの中でもスンバ島のイカットは有名で、巨石文化とイカットを目的とした観光客が訪れることも多い。経済価値が生まれることによって、最近では男性もイカットの制作に関わるようになったという。彼らが絣括りをするためには糸に直接下絵を描くのが最も最善の方法なのであろう。 括る素材には、椰子の葉の内皮が用いられていたが、現在では荷造り用のビニールテープで括る方が多いようである。自然の素材は染めるときに水分を含んで収縮し・u栫Aより固く締まって良いのだが、扱いが難しいという。裂けたり、切れたりしないように水で濡らしながら括る。合成品のテープは丈夫で、色数もあり、染め分ける色に合わせてテープの色も変えられるので便利ではある。 インドネシアでの絣糸を作る技法は手で括る方法と、直接染料を糸に刷り込む方法の2種類だが、日本では括りと刷り込みの他に、粗く仮織りした糸に捺染(プリント)をして再度織り直す「ほぐし絣」、絣模様に合わせて板に溝を掘り、糸を挟んで圧迫して防染部分を作って染める「板締め絣」などの技法もある。また、糸を括る点では同じであるが、一模様単位に種糸を作り、それに合わせて括る絵絣、括った糸を染めた後に経糸をずらして織機に掛けたり、織るときに緯糸をずらしながら絣模様を表す「ずらし絣」など様々な技法がある。また、手で括るのと同様の作業に動力を導入して絣括り機も各種開発されており、「手括り」に対して「機械括り」による大量生産も可能である。  インドネシアのイカットは「手括り」が主流である。ひたすら糸束を手で括り、防染して模様を作り出す方法は、最も手間の掛かる、効率の悪い方法ではあるが、絣の原点であり、基本である。織り上がった絣の布の醍醐味…面白さ、自由さ、味わい深さ…といった魅力が最も味わえるのも、この方法にあるように感じる。「絣括り」は大変な作業だが、手間を掛ければ掛けた分だけ、また、大変な思いをすればした分だけ、その布には力強さがある(宿る)ものだと、改めて思わされるのである。

「草色の炎」  榛葉莟子

2017-08-01 14:31:25 | 榛葉莟子
2006年4月10日発行のART&CRAFT FORUM 40号に掲載した記事を改めて下記します。

「草色の炎」  榛葉莟子

 明け方激しい雨音に起こされる。久しく雨音を聞いていなかったせいか突然目覚ましのベルが鳴り響いたかのように目が覚めた。昨日まで雨雲ならず雪雲に覆われた空からひらひら白いものが舞ってきて、しんしん降り続く雪の日の静かな季節は冬だったのだから。今朝の雨音は気温の上昇をはっきり証明している音だ。流れる水の音に角がなくなっているなと聞こえたその感じは気のせいでもないようだし、川をのぞけば柔らかに重なる透き通った水の起伏がとろり流れていく。耳をすませばプチュプチュプチュ足下からの土のつぶやきも聞こえてくる。霜柱が溶け始めたのだ。あたりを見渡せば全体に茶色がかった冬枯れの田園風景の中、魔法の杖のひとふりのように突然出現したかの印象を受ける草色に染まった畑に驚く。なつかしいような草色、それはいっせいに芽吹いた麦畑だ。そこに点々と黒いものが動いているのは鴉だろうか。一反の畑の草色は鴉にとっては草原であろうし久しぶりの草の匂いだろう。草色の炎と呼んでみたい生命の膨らみ。其処何処からのぞいている新しい春の到来の合図と眼が合えば、身体のどこかでも草色の炎はぽっと点って、なつかしくっていい匂いが身体の内を循環し始める。

 そういえば二十数年地方に暮らしているとはいえ、この世に生まれてひと所に二十数年はこの場所だけだとふと数えた。けれども定住の感覚はいまだに私にはない。借家だからというよりも借家でなければならないようなところもあるのは、感覚的には仮住まいの風通しの良さを望んでいるところがあるからとも思っている。定住という言葉のイメージには束縛の匂いを嗅いでしまう。そういえば先日、顔見知りのおばあさんに「こたつがあるのかい?」と聞かれた。「いいえ、ストーブだけなんですよ。こたつは大好きですけれど、大好きだからあえて置かないんです」と言うと「そうかい」で話は終わってしまったけれど通じていなかったようだ。こたつに入ったら最後動かなくなる自分の弱さを知っている。多分誰もがそのぬくぬくとした誘惑に負けると思う。故に、快適からは出来るだけ遠ざかるに限るのだ。定住とこたつがどう関係するのかといえば、安定、定着、完成、満足、安心等々、比喩としてそれらもぬくぬくの快適なこたつなのだ。ご用心ご用心。それにしても定住感覚の希薄な性分は青臭くなんという無器用者の生き方かとも思う。胸の内のどこかにはいつも宙ぶらりんの不安定がいて、あえてそれを望みそれが私を次の意欲に駆り立てるのは本当で、見つけた場所に執着することなく、再び始まる合図あの点火の瞬間の感覚をじっと待っている精神的な欲張りだから、いつまでも内的旅は終わらないということになる。何かが始まるぞというわくわくするする再開の感覚の中身は、不安がほとんどの矛盾だらけの開始の合図であって不安のないわくわくなどありえない。個展が予定されていればそこへの集中は日々意識される。そして必ず襲われる絶望的な不安とわくわくの葛藤。そこからの開始。

 この頃は、殻を破るとか脱皮などの言い回しは通じるのだろうか。ふと思い出すずっと以前、うなだれる日々があった。そんなある日の経験がある。薄暗い神社の木立ちを抜けるとぱっと明るい日差しの農道に出る。勝手知ったるいつもの散歩道の両脇には田畑が広がる。いつものそこに、その時はいつもとちがう感覚が湧き出た。見慣れたいつもの風景が木は木として道は道として、それぞれがくっきりとひかり輝きながら自分も共に連なって溶け合う世界を見たように感じ、そして神々しく輝く風景の中で沸沸とこみあげ膨らんでくる歓びとしか言いようのないうれしさに立ちすくみ戸惑った。戸惑うそれは、心の内によろこびとは対極に現実的な難しい心配事の解決策に苦悩する日々を数年来抱えていた。こんなに苦しいのに、こんなに歓びを感じている矛盾する私とはなんという奴だとさえ疑った。いみじくも苦しみが歓びに転じた不思議な経験は、この生の途上の薄皮の脱皮の段階のひとつにすぎないが、苦悩と歓びは表裏一体のひとつとしてあるということを教えられた。

 段階とか脱皮とか。なんて地味な言葉だろう。けれどもほんの少しずつの変化が心に積もって、ふとふりかえると一つの脱皮が一つの段階をくぐり抜けているのではないだろうか。地味な言葉の中身ほど案外豊かな世界が詰まっている。質問ばかりする新入りの子猫が家にいる。why?why?を繰り返し私は質問責めにあっている。ふんふんと想像しては作り話で答えたりしている。たまには自分で考えなさいと叱ったりもする。自分に質問ばかりしている飼い主に似たのかもしれないが、質問つまり自分に問題をださなければ思索は深まらないから自分に質問するのはおもしろい事なのだ。問題そのものの中に答えが潜んでいるともいう。