◆ウチワサボテンに寄生するコチニール(白い部分)
◆黄+赤+藍の染め重ね(豊雲記念館蔵)
◆コチニール染めの飾り房ポンチョ(豊雲記念館蔵)
◆小豆大の虫(コチニール)
◆白い粉を落とした状態
◆天日干し・乾燥具合により色が違う
2006年4月10日発行のART&CRAFT FORUM 40号に掲載した記事を改めて下記します。
「古代アンデスの染織と文化」-アンデスの染色Ⅲ- 上野 八重子
◆アンデスは赤色の宝庫
「古代アンデスの染織と文化」-アンデスの染色Ⅲ- 上野 八重子
◆アンデスは赤色の宝庫
本や博物館収蔵の染織品を見ると赤色が非常に多く使われている事に気付かれるでしょう。
一口に赤色と言った場合、橙色から深い赤茶色まで様々な赤系色を指し、それぞれ染材料も異なります。今回はアンデス地域で特に多く使われている染料、コチニールにふれてみたいと思います。
では、何故アンデスではコチニール染色が多く行われていたのでしょうか? これは単純に「身近に虫が沢山いたから…」だと思われます。
コチニールはウチワサボテンに付く寄生虫で、産卵前の雌の体から鮮やかな赤色を製します。コチニール虫が食するサボテンの生育は四季がある日本では難しい事ですが、赤道近くに位置するアンデスでは海岸地帯の砂漠で容易に育てる事が出来、これもまた染色の地域性と言えるでしょう。
コチニールとして発見されたのは新大陸発見後の15世紀にメキシコで見つかり、ヨーロッパにもたらされされて軍服やゴブラン織り、カーペットに使われ、日本へも南蛮貿易によって渡来しショウジョウヒと呼ばれる赤い羅紗の陣羽織等を染めていました。17世紀の中頃、オランダ人科学者により、錫塩発色で鮮やかな赤色が出せる事がわかってから更に人気が上がりました。しかし中南米では紀元前数百年の遺跡からコチニールで染めた染織品が発掘されています。更に紀元2~6世紀のナスカ文化期(注1)になると一段と色彩は鮮やかさを増し、技法的にも高度で複雑な染織品へと発展しています。
アンデス染織品の赤色を見る時、明らかにコチニール染めとわかる赤と、コチニールとも茜ともつかない赤があり「何だろう?」と思う事が多々あります。現在の定義づけられた草木染では考えられない全く違う染色法があったのでは? 染色資料の残っていない中では憶測でしか考えられませんが前号で記しているように単に自然界にあるもの(媒染剤の役割をするもの)を経験の中から使っていたのではと思うのです。もし、分析が許される機会がありましたら是非とも調べてみたいと思う事の一つです。又これら多種の赤色をみていると現代の染色法を駆使して染め出してみたい思いに駆られます。今後まとめてみたい研究課題です。
◆コチニール3キロくださーい!
ペルーの首都、リマから山岳地帯の町ワンカイヨに向かう道路を2時間程走ったところに大きなコチニール生産農園があります。幹線道路から脇道に入ると間もなく北海道の平原を思わせる広大なサボテン畑が目に飛び込んできます。作業小屋を見つけ出し、売ってくれるよう交渉したのですが「小分けはしていないので3キロなんて少量では売れない」と、つれない返事。こちらとすればコチニールを3キロ買うなんて大変な量なのですが… 紹介者の名を伝え、ねばった末にOKが出て「少ないから割高だよ」と言うものの1㎏¥9200はやはり格安です(1997年)。そして何よりも新鮮!
ペルーの首都、リマから山岳地帯の町ワンカイヨに向かう道路を2時間程走ったところに大きなコチニール生産農園があります。幹線道路から脇道に入ると間もなく北海道の平原を思わせる広大なサボテン畑が目に飛び込んできます。作業小屋を見つけ出し、売ってくれるよう交渉したのですが「小分けはしていないので3キロなんて少量では売れない」と、つれない返事。こちらとすればコチニールを3キロ買うなんて大変な量なのですが… 紹介者の名を伝え、ねばった末にOKが出て「少ないから割高だよ」と言うものの1㎏¥9200はやはり格安です(1997年)。そして何よりも新鮮!
採集時の雌コチニールは大きさも体つきも小豆のようにコロンとして、貝殻虫という硬いイメージに反して触るとプヨプヨしています。サボテンに寄生している時は紫外線から身を守る為に白い粉に覆われていますが、採集後すぐにふるいにかけられ粉を落とされてそのまま灼熱の天日干しにされます。逃げたくても退化した足ではどうにもならないのです。私達が入手出来るコチニールはこのような乾燥後の虫なのです。
写真を見ての通り、群がる中でどれが雌なのか?と採取法を考えてしまいますが実は全部雌なのです。貝殻虫の一種であるこの虫の雄は交尾の時に飛んで来るだけ、雌はサボテンに卵を産み付け、生まれた幼虫は自分の居場所を決めるとそこから動かなくなり、一生その場で過ごす事になるとのこと。雌が動くのは生まれたてに住み着く場所を探す時だけ…と聞き「人間に生まれてきて良かった!」と思うのは私だけでしょうか!
染色の時「これは虫なんですよ」と言うと「エーッ」という声が上がりますがコチニールは染色以外にも、カルミン酸という色素は日本画の絵の具、赤インク、ケチャップ、赤蒲鉾、化粧品の着色料として使われていますので誰もが知らない内に口にしている訳です。近年アメリカでは合成着色料が禁止され、赤色はコチニールを使うようになりましたので値段が高騰してしまいました。他に生物学でバクテリアや生体の組織染色に用いられています。
◆赤から発する色
古代アンデスの赤色はコチニール以外に茜も確認されています。しかし現在、リマの染織家は「ペルーで茜を見た事がないと言っています。」日本で茜を考えるとき、日本茜、西洋茜、インド茜ですが、アンデスの茜がそれと同じとは思えないのです。なぜなら、気候風土が全く違いますので、草系の茜(日本茜、西洋茜)ではなくチャイや日本名・八重山青木のような木系ではなかったかと考えるのです。アマゾンを懐に持つ地域には藍と同じように全く別物があったとも考えられるのではないでしょうか。
先月、古代染織品の染色を主に調べるため豊雲記念館にお願いし見せていただく機会を得ました。基本色は赤、黄、青、茶(濃淡はありますが)。橙、緑、紫、臙脂、黒は染め重ねにより出しています。黒は今までナチュラルカラーと思っていたのですが、ルーペで見てみると微かに赤色が見えるのです。コチニール又は茜で赤色に染めた後に藍やタンニン系で染め重ねたのでしょう。この2色を微妙な濃淡で下染め、上掛けに組み合わせて紫、臙脂、黒、焦げ茶まで無数の色を出しています。科学的な3原色の知識もなかったであろう紀元前6世紀の染織品にすでに混色がなされていた訳です。理屈ではなく実践と言う事でしょうか。リマの染織家が言った「秤もなかった時代に何を何gなんてやってる訳無いじゃない」という言葉と混色、混媒染がよみがえってきます。
染色の話はひとまずここ迄とし、次回からは少しずつ技法に触れてみたいと思います。 (つづく)
(注1) 紀元前3世紀~紀元6世紀にかけてペルー南部海岸のイカ川、グランデ川流域に栄えた文化。ナスカの地上絵でも有名な地。現在でもコチニール生産農園がある。