忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

滋賀いのちの電話講演会

2010-09-09 | 生き方を学ぶ
五日前の土曜日滋賀いのちの電話主催の自殺予防公開講演会に行った。初めの挨拶で自殺者が年間3万3000人になり、一日に計算すると毎日90人の方が自殺されている。そしてその関係者を5人と計算しても180万人の人たちが何らかの関係者であり遺族でもあるという話に驚いた。

比叡山延暦寺長臈 小林隆彰師の話の中で比叡山の「一隅を照らす」という言葉にかわり、「○ ○の為に生きる」としたらどうかと思うといわれた。今、人の為に何かをするということが、どんどん薄れていっている。親は子のため、子は親のためという言葉も虚しいほど今は子殺し、親殺し、遺棄などということが日常的に新聞などに取り上げられている社会の状況を話された。
皆が自分勝手で利己的に生きているように思われる世の中で昔のことわざにある「情けは人の為ならず」という言葉が頭の中にふっと浮かんだ。

「顔や言葉は人のもの」「顔や言葉は人のため」顔を美しく化粧するのも笑顔で対するのも人のためであって、言葉も人と人をつなぐもので、やさしい言葉が人を癒す。
「身体は仮のもの たましいの棲家」という言葉にもはっとさせられた。

又、師がこれまでに4回ほど死んでいてもおかしくない瞬間にその身をおきながら不思議にも生きてこられた体験を話された。子供の頃列車にはねられたが自転車の車体が壊れただけで、怪我もしなかった。その時身につけていた成田さんのお札が粉々になっているのを後になって気づいたという話の部分では、私も子供の頃はお守りをつけていたように思う。そして、親に連れられて成田さんにお参りに行った時、お堂の上に掲げられていた絵のことを思い出した。海におぼれそうになった子供がお守りのお陰で助かったという物語の絵なのだが強烈に印象に残っている。あの絵 今もあるのかしらなどとふと思った。

プログラムの終わりに断酒同友会、自死遺族の会、びわこダルクなど団体の紹介があり、特にダルクの会の方が覚せい剤やシンナー他あらゆる薬を服用し、絶望や死の苦しみから立ち上がってこられた話を聞き、言葉では表現できないほどのショックを受けると同時に人間がいかされて生きているということをずっしりと感じました。