忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

母のこと

2012-10-21 | 生き方を学ぶ

昭和19年戦時中に生後7ケ月か10ケ月?の私を引き取り育ててくれた母は苦労人だった。

明治37年生まれの母の話はまるでドラマになりそうで時々思い出しては今の自分がいかに軟弱かとつくづく思う。

母だけでなく明治、大正を生きてこられた人達の話を聞くと、どの人達もすごい人生を歩んでこられたのだなあと思う。

母は京都 祇園の料理屋の娘として生まれたと聞いた。何かの本で祇園に松村家・竹村家」・梅村家と名のる料理屋があったということを読んだ。竹村の家には兄3人と姉1人がいて母は一番末だった。3歳くらいの時 父親がお相撲さんに肩入れし過ぎた為 店が傾き一家離散になったらしい。(真偽のほどはわからないが?)

母の母親はその当時としては高い教育を受けていたらしく子供たちをおいて家を出てその後 検事さん?と再婚されたという。

母は養女に出され、そこでお婆さんに相当いじめられたと言っていた。祇園街の中で琴や、三味線、長唄、鼓、舞などあらゆる芸事を習わされ芸の厳しさに死のうかと思ったこともあると話していた。

養女に出された先から又奉公に行きそこでもいろいろ苦労し学校にも行けなかったようだ。

  母と私

母は結婚したが、相手の人は新聞記者で何かが原因で左遷されそのうちに酒に溺れるようになり別れた。子供を産んだがその子供が小学生に上がる時、別れた夫の元に返したと言っていた。それ以後その子供にも会う事もなかった。(東京にいると言っていたが、もうその方も生きてはおられないだろう)

関東大震災の時は東京にも住んでいて震災にあった時の事も話してくれた。先の戦争も体験し食糧難にも遭いながらも私を育ててくれた。愚痴一つ言わず生きてきた母はすごい人だったと思う。

何事もこだわらず私が幼い時は厳しかったが大きくなると何も言わず自由にさせてくれた。そしていつも私を信頼し応援してくれていた。そんな母にもっともっと優しくしておけばよかったといつも悔やまれる。