忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

「心のはかり」のお話

2015-09-21 | 生き方を学ぶ

シルバーウィークだそうで、私はてっきり「お年寄りに優しくする週」のことかいなぁ・・・と思っていた。

春のゴールデンウィークとの対で秋の大型連休のことを指しているということを知った。

「敬老の日」 に思い出す話がある。仏典童話には「心のはかり」という題で載っていた。(以下概略)

【昔、インドのある国で若い戦の上手な王がいてその王は老人が嫌いで70歳を過ぎた者は遠い山へ捨てよという法律を作った。大臣達が「老人はこの国を長い間支えてきた人々です。これまでは老人を大切にしてきたのです。無理に法律を守らせれば人々の心は王様から離れます」と言ったが王は聞かなかった。

まもなく戦争が始まり、手ごわい相手でこのままでは負けてしまいそうになり、やむなく10日間の休戦を申し出る。相手は人質に王の妃をとり休戦に応じる。

10日が過ぎ、敵からの使者は「わが王が人質となった妃が気に入り正式にお妃に迎えたい。美しい妃を卑怯な方法で得たくはないので、失礼だが武力では勝っているわが軍。そこで智慧比べをして勝敗を決めようではないか」と言ってくる。

悔しい思いをしながら王はこの知恵比べに挑むことになる。最初の問題は「うりふたつの二匹のヘビの雄雌の見分ける」ことだったがこれを知っている人は国中探しても見つからなかった。ヘビ使いの老人は山に捨てられていてだれもわからない。

「やわらかい敷物の上に二匹のヘビを置いて、激しく身をくねらせる方が雄、じっと動かないのが雌です」と一人の大臣が言った。

確かめるとそのとおりだった。

次の問題が届いた。「四角い木材のどちらが根元か見分ける方法」

次は「ひと口の水は大海のすべての水より偉大である。これを説明せよ」王は大臣に答えを求めた。大臣は

「砂漠を旅する人、熱にあえぐ人、息をひきとろうとしている人にとって、ひと口の水に勝るものはありません。とりわけ、清らかな心でお釈迦さまに捧げられたひとすくいの水の尊さは大海の水の量に少しも劣りません」と答えた。

次々 出された問題の答えは正確に当たっていたのでまもなくして妃を連れた使者がやってきた。

「心のはかりを持っている人がいる国は素晴らしい。もう戦いはやめて親しく交流しようではないか」と。

三つの難題を解いた大臣は次の日 粗末な罪人の服を着て王の前に現れ「王様 私は法律を破りました。老いた両親を捨てることが出来ず地下室にかくまいました。難題を解いたのは両親です。いかようにもお裁きを・・・」

王を先頭に急ぎ足の行列が遠い山を目差して出発したのはその日のうちでした。」】

  


「国民が国の政治を鍛え直す時」という主張に

2015-09-21 | 世の中のこと

京都新聞一面には「安保審議不十分79%」「内閣支持率下落38%」とそして一面の裏「安保法廃止へ戦う」「学者1万4000人超結束」という文字が。

赤旗新聞には「戦争法廃止 国民連合政府を」各界からと「戦争法廃止へ大同団結を」とNHK日曜討論小池委員長が訴えという見出しが目に入った。

友人のブログには今朝の「朝日新聞」の一面 に釘付けになりました」と書かれてその内容が詳しく記されていた。以下転載させてもらいました。

「国民が国の政治を鍛え直す時」の主張です。すごい! 胸のつかえがとれる思いでした:

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11974238.html 長いですが………

 「安全保障法制をめぐる国会論議が見せつけたのは、日本の政治がひどく劣化している現実だった。

最大の責任は、安倍晋三首相にある。安保政策の大転換の意味を、懇々と説かなければならなかった。

 冷戦後、同盟国の米国はともすると、東アジアから引こうとする。一方で、中国の台頭は続く。

米国との同盟関係を強化して中国と向き合う。それが日本にとって大切な選択であり、そのために限定的な集団的自衛権が必要だ――。

 

安倍首相がそう考えているなら、理を尽くして冷静に説明するやり方はあったはずだ。

 柔軟な思考で野党とも話し合いの可能性を探る。時間がかかっても例えば、PKO(国連平和維持活動)への積極的な参加など、安保法制を一歩ずつ整備する手法もあっただろう。

 安倍首相は合意づくりの道を選ばなかった。瞬く間に広がった違憲論を説き伏せる気迫も論理も、示せなかった。だから、野党の追及に、まともに答えられない。

 

 多くの首相を見てきた。消費税を導入した竹下登首相に、関連法案の審議をいつまで続けるのかと聞いたら「野党が音を上げるまでだ」との答えだったことを覚えている。

答弁席から野党議員に「早く質問しろよ」とヤジを飛ばす人はいなかった。

 日本が「存立危機事態」に陥れば、自衛隊に集団的自衛権による武力行使を命じる。誰よりも沈着さが求められる首相である。国会での安倍氏の姿に多くの国民は不安を感じたのだ。

 

 自民党の責任も重い。四半世紀前、イラクのクウェート侵攻を受けて自衛隊の多国籍軍支援に道を開く法案が提出された。

政府の答弁は二転三転した。自民党は廃案を決断。引き返す度量を持っていた。今回は違う。党内論議もまともに行わない。本音では「法案には問題あり」と語る議員はいたが、公の席では声を上げない。

多様な議論を交わせない政党の将来は暗い。 野党も政府案への対抗軸を打ち出し、日本の将来を見据えた外交の構想力を競う。そんな場面がほとんど見られなかったのもいまの政治の身の丈だろう。

 

 有権者にも問いたい。昨年12月の衆院選で、自民党が安保法制を整備することは、十分な分量ではなかったとはいえ、公約に掲げられていた。そこに選挙区で2546万人、比例区で1765万人が投票。

47%が棄権した。小選挙区効果もあって、自民党は圧勝。安倍政権が存続し、安保法制の成立をもたらした。

熟慮の末の投票・棄権だったのだろうか。多くの有権者が「こんなはずではなかった」と感じ、それが国会周辺の大規模デモにつながったのだろう。

 

 説得の力を欠く指導者、闊達(かったつ)さを失った政権党、半数近くが棄権する有権者……。嘆いてばかりはいられない。

政治家任せにせず、国民の手で政治を、そして民主主義を鍛え直す時が来ている。それが、安保法制論議の重い教訓である。

  

 


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