忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

木をみて森をみない。森をみて木をみない。

2019-05-07 | 日々の業

 先日、坂本の律院に行った時のこと。護摩堂で大勢の人たちが不動明王のご真言を唱えておられた。

ご真言は、仏陀や菩薩が説かれた聖なる呪文ということで

「ノウマク・サンマンダバザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン」と何回も唱え、その声が堂内に響き渡り独特の雰囲気を感じた。

その中に身をおき皆と一緒に唱えていたものの、何回も唱える間に両唇がしんどくなってきた。

(ほんまもんの信者やないからや・・・)と。

それに護摩木にかかれた願い事を聞いていると、家内安全、商売繁盛、病気平癒など等が出てくる。

えっ!これってちょっと待って・・・と、心の中で思った。

私は元々 真宗に帰依している。親鸞さんは災いを避けるために方角を選んだり、お札やその他のものに頼ったりする人間の心を戒められておられる。

翌日 訪ねてきた友人にそのことを話すと、「人間とは弱いものだから、それはそれで認めなければだめだよ。そうでなければ皆、心の病気になってしまうよ」と言われた。

その言葉を聞いて、なるほどそういう捉え方があるのだと改めて教えられた。

このとき昔よく話していた言葉を思い出した。

木をみて森をみない。森をみて木をみない。

概して女性は目先のことに目がいき全体像を見ようとしない。それに比べ男性は全体像のことはよく観るが細かい部分には目が行きにくいと言った言葉のたとえだった。

が、女性、男性などと区別してみることは最近では随分憚られることだろうけれど・・・。

後日、ネットでご真言のことを調べると、「欲のためにご真言を唱えても効果はありません。苦しいので助けてください、商売で儲かりますようにと願っても無意味です。苦しみから逃れる道を照らしてくださいと願います。商売で儲けたら、さらにそのお金で人に役立つ道を照らして下さいと願います。」と書かれていた。

私の一人勝手な思い込みが恥ずかしかった。 

 

 

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