昨夜 偶然みたテレビ(「昭和は輝いていた」)で満州開拓民として満州で暮らし、敗戦により必死の思いで帰還した芸能人の話をしていた。宝田 明さん加藤登紀子さんが出演していた。
話の中で、なかにし礼さんが作詞された広田三枝子の「人形の家」という歌が終戦により満州から逃れてきたときの心情を歌ったものだということを知り驚いた。
番組では当時の満州の様子が映し出されていたりして、150万人が満州開拓民として渡り、敗戦の時は軍から捨てられた話などを宝田さんも語っていた。
この歌は知っていたが、まさかこの様な意味が込められていたとは知らず、何となく悲しい歌だなぁと思っていたくらいだった。
貴重な話と映像を途中からだったが録画した。
他にも戦争時や終戦直後の歌が数々歌われていた。歌そのものは知っているものもあったが、その内容をあらためて知り、考えさせられた。
戦争発言をした若い議員いまだに責任をとることなく国会議員として在ることに憤りを感じるが、それを擁護する人たちもいることに驚く。この人たちにこの内容の番組を見てもらいたいと思うが果たして戦争の悲惨さ惨さが通じるだろうか?
弘田三枝子 - 人形の家
満州からの引き上げ船のことを歌った「かえり船」
かえり船/田端 義夫
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