昨日の新聞の天声人語に「国民は程度に応じた政府しか持てないと古くから言われている」と書いてある記事をみてなぜか納得しつつ、虚しい思いがした。
以前読んだ本に明治初期だったか国民が学ぶことに目覚め、時の権力に対して批判の目をむけた。そこで政府は出来るだけ国民が権力にはむかわないように学ぶ権利を奪っていく政策を講じたというような文を見たことがある。
又、「静かなる戦争のための沈黙の兵器」と言うアメリカで見つかった怪文書に「彼らに事情を悟らせない為に、我々は娯楽、競技、ゲーム、色事、遊び場をあてがって、さらに政事から遠ざける。(中略)我々と政治闘争をしなければならない人民の関心をすっかり方向転換させてしまう。
若者達は因習・陋習と、ごく若いうちからの性的堕落によって、痴呆状態のまま成長する。彼等の感情を開放してやり、彼等の我がまま勝手と、感情的・肉体的な活動が放縦になるようにしてやる。
メディア特にテレビと新聞を通じてセックス、暴力と戦争を集中砲火であびせ続け、毅然と立ち向かう感情を軟化させる。・・・・・」まだまだ続きますが、戦後のGHQの政策そのもので、なんと国民はこのように知らない間にコントロールされていっているのかもしれませんね。
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