忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

生かされてきた私「赤い背中」の少年は私

2015-07-03 | 世の中のこと

新婦人しんぶんに出ていたこの方 誰だろう?と思い記事を読んでいくと16歳の時、長崎で被爆された谷口稜曄さんという方だった。

それよりも被爆者の方の写真でよく見たことのあるあの「赤い背中」の方だったということに驚いた。

奇跡的に命を取り留め国連をはじめ海外で自らの被爆体験を語り核兵器の廃絶を訴えられているという。

「背中一面のやけどで座ることも横になることもできず、腹ばいのまま「殺してくれ」と叫んでいました。

私が助かると思った人はいなくて、医者や看護婦さんが病室をのぞいては「今日も生きている」「今日も生きている」とささやくのが聞えてきました。と赤い背中の写真を掲げて証言されている。

1年9ケ月うつぶせのままで床ずれで皮下組織まで腐った胸は骨の一部が露出して心臓の動くのが見えるほどだった。14回入院、24回の手術を繰り返してこられ生かされてきたのだと思うと語られている。

又、日本政府は何故もっと早くポツダム宣言を受諾しなかったのか。そうすれば原爆投下はなかったかもしれない。アメリカに言われて勝手に被爆者への賠償を放棄する。国民を無視ばかりしてきたとも語っておられた。

「核兵器がこの世からなくなるのを見届けなければ安心してしねません。」と。

戦後70年を経て被爆者の方の平均年齢が80歳を超えたと先日もニュースで報じていたが、さまざまな苦難とともに歩まれてきた人生の一端を知り胸が熱くなった。そして核兵器廃絶の運動のために生き残り生かされてこられたのだと思わずにはいられなかった。

 


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