これまでいろいろな集まりに参加してきた。ところが最近は体調がすっきりしないことで出かけることが随分少なくなってきている。
友人との待ち合わせも二人の体の調子が良い時にしようと決め、どちらかが具合が悪ければ遠慮なく取りやめにすることという約束事にしている。
ところが、勝手なことが言ってられない集まりになると、今度はその日時をしっかりとカレンダーに書き込み、その上、紙に大きく書いて冷蔵庫に貼り付けておく。
数ヶ月前、久し振りに仲間数人と会う約束をしていた。
十年以上前から、1年に一回会う仲間だが、以前は泊りがけで行っていたものが、ここ数年は京都駅の改札口○○時な!という電話だけの連絡で集まって、食事をしてお喋りで済ますようになった。もうそれだけで充分楽しめ満足する集まりになってしまったようだ。
先日もその集まりに参加すると言っていた人がいつまで待っても来られないので、連絡すると「忘れてた!」・・・・
やっぱりなぁ・・・
前日にでも確認の電話をすればよかったのだが、ひとり欠けてしまったが、お互いに人事ではないと感じたのもあり、誰も何も言わず、久し振りの再会に花が咲いた。
別の知人も同窓会を毎年同じ日時に決め、集まる場所も同じところにしているから案内はがきを出さなくてよいと話されていたが、だんだん集まる人も少くなくなり、いつの間にか同窓会の集まりがなくなったそうだ。
同窓会で泊りがけで行った人がお酒を飲み、温泉に入って亡くなったという話も聞いた。
高齢になると身体の衰えがいやでも出てくる。ショックも受けるが、そうそう嘆いてばかりもいられない。
身体の変化(幼い子どもの変化に、わぁ!こんなことが出来るようになったと言って喜ぶのと反対に、わぁ!こんなことが出来ひんようになった!)を面白がって生きていこうと思っていたら、誰かが本の中で同じようなことを書いていたようだ。
勿論 この変化 他の人たちのお世話になることも合点の上で
「あんたらのお世話にはならへん、なんて言わず、これからよろしゅう頼みます」って言いなさいよと話されていた秋葉先生の言葉を離さず心にもっている。
そうは言っても社会環境の変化も著しい昨今、「お世話になるし、よろしゅうな」などと言っていられないかもしれないなぁ・・・
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