こども脱被ばく裁判(第二次ふくしま集団疎開裁判)提訴
2014年8月29日 UPLAN
お母さんたちの声
http://youtu.be/pnMTCBh8XAc?t=1h5m3s
母1:
福島原発事故から3年半が過ぎようとしています。
事故当時、福島県民に疎開の指示はありませんでした。
私たちは混乱の中で給水所に並び、食材を求め●に必死でした。
東京電力のみならず、福島県までも情報の隠蔽や意図的とも思える情報の公開●が繰り返され、
SPEEDIによる拡散予測を公開ぜず、
「直ちに影響がない」と私たちに被曝を強要しました。
事故後すぐ、私の息子と娘に赤い発疹が出ました。
それから1〜2ヶ月後に、息子が大量の鼻血で倒れ、白血球の減少、喘息の悪化。
その当時5年生の息子は、「放射能が怖い」と外のものに触れることを嫌がり怯えていました。
借り上げ住宅を借り福島を離れようと思いましたが、
度重なる嫌がらせに子供たちは怯えて、週末避難という形をとらざるを得ませんでした。
目に見えぬものから必死に逃げようと苦しみ悩み、苦しみ抜いた3年半です。
みんな楽しくHappy♡がいい♪←より
ずっと考えていなくていい、だけど、ずっと忘れないでいてほしい。
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