・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

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何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

正義

2010年07月02日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)
主義というのはおよそわかりにくいものである。
それでも、○○主義という漢字○○の二文字から、多少の見当違いはあるにしても、おおよそのことを想像しながらわかったつもりになれるのと、そうでないのがある。
原理主義はわからない部類のほうで、主張の根幹が何であるのか、文字からは見当もつかない。

主義に似た言葉に正義がある。
正義を旨とする人が、崇高な理想を、信念をもって説いても、この世のすべての人に理解され、受け入れられるとは限らない。
これが正義だと唱えれば、誰もが信じすべての人が協力してくれればよいが、そうはいかずにいざこざも起きる。
それがけしからんと、居丈高な行為に走る例も、世界のどこかで何年に一度かは繰り返し見られる。
痛恨の使用実績を残してしまった大量破壊兵器を、今後誰かが何かの理由で再び使うという狂気を、正義という千社札で鎮めきることはできない。

民主主義をふりかざす國の行いが、民主的決定によって妨害され、独裁的決定によって遂行されるという、皮肉な状況さえある。

フェデリコ・フェリーニ監督の映画に「純粋に逃避するな」というせりふがあった。
純粋にも正義にも、逃げ込む穴のようなところがある。
ところと言っても場所ではないから穴では言い得てないが、ふりかざしておいてはまた穴にしまいこむ旗印のようなもの、祭りのときまでは要らない四神剣のようなものか。

正義は純粋の親戚で、原理主義一族なのだろうか。
主義の話は続けるにしたがってわからなさが増していく。