畑の向こうの隅と隅で何か話しているがこちらには聞こえない。
もうそろそろ遠くなっているのではないかなど、余計な推察は無用、当人同士話が通じていれば、それが会話。
会話には、ちょどよい距離がある。
目に前に相手の目があっては、話が詰まることもある。
相手の目をじっと見ないと話したことにならないお国柄も、どこかにはあるようだが、日本語は、顔つき目つきは直接見なくても、帰ってくる返事で察しがつく。
日本語を勉強中の人は、一語一語の意味を理解できないと、言っていることがわからないという。
感覚は説明しようのないもの、「意味は」「正しいのか」とバラバラに突き詰めても、言葉は通じない。
そうか、5メートル会話という方法も、言葉の勉強にはなるかもしれない。