看板には、デザインされたものとされないものがる。
と書いてはみたが、これは少し怪しい。いや、だいぶ怪しいかもしれない。
デザインは考えたすえのこと、あるいは考えることそのものだから、「考える」という頭の働きがまとわりつく。
修正しよう。看板には、デザイナーがデザインしたものと、素人がデザインしたものがある。
としてみたが、これでもまだ怪しい。
デザイナーとそうでない人を区別する境界がはっきりしないところが怪しい。
プロとアマという区別はあっても、それは金銭のやり取りの区別であって、デザインの質に直接関係はない。デザインの収入が多ければ優れたデザイナーであるとも言えない。
看板で言えば、その前を通る人がどのくらい目を向けたか、看板が招いたところに足を向けた人がどれくらいかということだろうか。
デザインを意識すると、できたものの面白みが減るというところが、悩みどころでもあって、考えはじめると、看板というものはなかなかの難物なのである。