この場所の境界標示の代表格の柱、風格はまだ顕れてないが、動かしがたい何かがある。
動かしがたいからここに残ったともいえる。
上端の縁には切り取った後がうかがわれる。
そこから上のほうがどうなっていたかはどうでもよい。
しかし、この柱の前身が、何物であったかには多少の興味を惹かれる。
この柱は、境界標示という役目を、いくらかはもっているように見える。
しかもこれほど威張った顔をしたものが他にないから、代表格にも見える。
代表格でありながら、実質の働きはさほどでもない。
世界中にどれほどいるのか、数え切れない社長さんにも、実質の働きがない社長さんもいれば、その人だけしか働いてない社長さんもいる。
そこにあるだけで、まったく実用上の役に立っていないものを、赤瀬川原平はトマソンと名づけた。
トマソンになる一歩手前のものは何と呼んでやろうか。
それには、呼び名の前か後に何か文字を加えるのと、文字数を増やさずになるほどと思わせるよう入れ替えるのと、ふたとおりの方法がある。
いま考えてもよし、次に同じようは一歩前のトマソンを見つけたときでもよし。
これは宿題。
そうだ、退屈しのぎには、宿題の出題を考えるというのがあった。
宿題をたくさん出す先生は退屈なのだろうか。