・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

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絵と字

2012年02月17日 | つぶやきの壺焼

子供が成長して何か考えられるようになることを、ものごころがつくと言う。
深く考えずに使っていたこの言葉、新潮・久松・国語辞典では、「物心」を「人情・世態などを弁別する心」としている。
この解釈からすると、ものごころの「もの」は物理的なモノではないようだ。

人情・世態の弁別は、およそ大人のすることだと思うが、幼少期にはモノの弁別とこころの弁別のどちらが先にできるようになるのだろうか。
後先どうでもよさそうなことが気になりだすのは、先のなくなってきた証しか。
証しと言ってしまうとがっかりするから、兆しぐらいにしておこう。

こんなことをなぜ言い出したかというと、「もの」と「こころ」を言い表す場合に、絵と字と、それぞれどちらがわかりやすいだろうかと、ふと考えたからである。
さらっと考えると、「もの」は絵のほうがわかりやすく、「こころ」は字のほうがわかりやすい気がする。
「こころ」を絵で表すには、観てとる側にもそれなりの「こころ」が必要になってくるから、こちらはおよそのところ字の領分だと思う。

「もの」の表現が字では難しいものだという例がある。
昨2011年暮に行われた東京モーターショーで、ドイツの自動車部品メーカー MAHLE マーレが、新しい油ポンプを展示した。
日経Automotive Technology の記者は、そのポンプの構造をこう書いていた。
「ベーンでなくリンクを使う油ポンプ:内側、外側の両ロータをリンクで結び、両方のロータを回すことによって、両ロータ、リンクに挟まれた空間の体積が変わることを利用して油を送り出すポンプ "ペンデュラム・スライダ・セル・オイル・ポンプ(PSオイルポンプ)"」
この記事を見て、構造を想像してみたが、なかなかの難事で、遂に写真を見るまでそれをつかめなかった。
機械に詳しい人ならこの記事を見ればわかるのかもしれないのだが。

この写真を見ているうちに、「もの」を語るには絵の力がものを言いそうだと、あらためて感じたのである。