畦(あぜ)か、畔(くろ)か、このあたりでは畑の外周や区切りの罫線のような部分を何と呼ぶのだろうか。
合わせて畦畔(けいはん)とするのは文書用語だろう。
そのことだけでは、畑仕事の手を止めさせては悪いから声をかけにくい。
大根の葉だけが残った収穫の後。
実が一本乗っている。
忘れたのでなければ、何かのマークなのか。
マークには、つけた側でしか意味をもたないものと、つけられた側にも意義なり効用なりが生まれるものがある。
国民一人一人に番号を付けて、各種の情報を政府が一元的に管理する共通番号制度もマーク付けの一種である。
この制度が、逆進性対策とか給付付き税額控除とか意味のわからない珍味言料を加えてかき混ぜられた増税案と一緒くたに閣議にかけられた。
社会保障の負担と給付の公平性を保つため、正確な情報を把握するのが狙いだというが、何がどうなるのかさっぱりわからないから、公平・正確これが狙いと言われても、どこか別のところをマークしなければいけないのではないかと、つい勘ぐりたくなる。
国民に番号はすでに付いてしまっていて、総合適用が認められていないだけのことだから、プライバシーがどいうこうなどという理屈は、あまり効き目のない反対運動用だけのものでしかなくなっている。
マークの利用法をよく考えてはっきり示せば、ああそうかということになるだろう。
畑のくろに置かれた大根のように、付けておいたぞというだけのマークでは、しるし付けへの宗教的ともいえる嫌悪感をもった人々は、さぞ納得し難いだろう。