・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

適性と天性~いまさらながらの違い探し:4

2014年06月22日 | つぶやきの壺焼

プロと名乗る人の仕事をじっと見ていると、適性が気になり始めます。
その人なりに懸命にやっていることに、他人の余計な心配は無用なのですが、懸命であればあるほど、あのむだなエネルギー消費が別のところに向けられたらと思うことがあります。

仕事には、その成果を受け入れる別の人が必ずいます。自分のためだけにすることは、趣味であって、仕事ではありません。
仕事への適性は、受け入れる人の数が多ければ、適否の影響が大きくなります。
へぼな仕事でも、気の長い旦那がじっと待ってやって大成したという浜野矩随のような話もありますが、受け入れる人が一人だからこそ成立するのです。
受け入れる人の数が数えきれない、ラジオ放送のアナウンサーの場合は、適性への見極めを早くつけることが、その人のためでもあり、視聴者のためにもなるでしょう。

アナウンサーの中には、発声音程を操れない人もいます。
報道調、説明調、会話調、朗読調の区別ができずに、聞く耳に妙な感じを与えます。好きでない言葉なので使いたくはないのですが「違和感」です。

イントネーションの自律修正が下手で、言葉の音程自在化ができない人は、たぶん「なりきり」のできない人なのでしょう。
その場の空気次第で、「なりきり」が鳥やけものの領域にもすかさず及んでしまう、素晴らしい天性を持った人もいます。

音痴にもいろいろあるようですが、発言音痴というのもありそうです。
発言音痴の人にアナウンサーは向きません。

さて、適性というものは修正可能なのでしょうか。

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