世情の論評に、「私はこうしている」「私の家族はこうだ」ということが引っ張り出されると、その主張は途端に怪しくなる。
行儀のよい自分の家族がそうしているからと言って、それを皆も同様にできるはずというのは強弁であることに、やや興奮気味のその人は気づいていない。
自分や家族の行動を変えなければならないのが嫌なだけなのかもしれない。
著名人が私情を訴えれば同情を集めやすい。
もし声の響きによってその同情の結果が、為政者の判断に迷いを招くことがあれば、後世に禍根を残すおそれも出てくる。
私情を原理に持ち出してはならないのだ。