わすれない。
なにを。
いやなに。
いやなに って? わからないじゃない。
きみを。
じゃ? しろみは?
それももちろん。わすれない。
じゃ。なにをわすれたっていうの?
なんで僕が魚を釣って帰ってきたかと言うこと。
よかったじゃない。 でも鰹じゃないのね。
うん。 竿が細すぎた。
でも 鰹は食べたんでしょ。
のれそれ や ちゃんばら貝 も食べた。
それで 笑って帰ってきたの?
いや。 僕は捨てられたはずなんだ。 生まれてすぐ。
どこに?
わすれた。
わすれない。 って言ったじゃない。
それは きみ。
じゃ しろみは?
わすれたのかなぁ。
懐かしい状況に身をおくと 抽出された記憶をまず辿る。
何を覚えていて何を忘れ去るのかは どうも本人の都合だけではないようだ。
都合の良し悪しは 前頭葉の働きに依存する事が多いようだが 記憶は脳幹部分の古い脳細胞よりもたらされる。生存に大きく関わることなのだろう。
生存における都合と 生活における都合では 善悪や良否哀楽に対する教訓が相反する場合だってありそうだ。
チャイナ圏の人たちがデモを行っているのは 生存の為の 何かを わすれない でいるのだろう。
生活の為であれば 野蛮な行動に出る一部の暴徒の行動は解せない。
いつの時代も為政者に対する わすれない 何かが人々を決起行動に駆り立てる。
ガンジーさんのように完全無暴力を説く行動にならないのは 何か わすれている せいかもしれない。
とにかく 自然発生的に無秩序に産まれるものは 破壊行動になりやすいのだろう。
生存の為に破壊活動を行ってしまう生き物はいない。 生活の智恵を授かった人間だけが 愚かな行動を起こしてしまう所に 人と言うものの本質が見えるようでもある。
わすれない ことが人を人らしくする。
恩や礼儀や反省だ。
わすれる ことでしか維持できないものもあるかもしれない。
恵比寿天は 生まれてすぐに海に捨てられた 捨て子の神である。
しかし やがてきれいさっぱりそのことは忘れて 人々に豊穣な恵みをもたらす神となる。
ニコニコニコニコの 神となる。
わすれる。わすれない。
私は何をわすれ 何をわすれないのか。
自分を知る手がかりになるかも知れない。
南無煩悩大菩薩。