横浜の桜木町にも想いではあるが、この桜木には、痛い想いでがある。
なにごとも過ぎてしまえば、忘却という淘汰圧から逃れる術はなくなるが、身にしみて体験したものは、その力に抗う強さを持つようだ。
懲りる。という学習の基本要素の大事さを想う。
しかしだ。懲りたからと言って2度としない訳でもないだろう。
懲りたことでも懲りずにする。ことも人はよくやってしまう生き物だ。
痛い想いをしたとしても、それにみあう人生の何かは掴んでいる所為かも知れない。
人の記憶は面白い。
痛い思いよりも、この芝生の柔らかさが、懐かしいのである。