南無煩悩大菩薩

今日是好日也

対立。

2007-07-25 | 有屋無屋の遍路。

司法・立法・行政、それぞれがそれぞれに独立した勤勉さを要するであろう。

勤勉さとは、そのフィロソフィに対してである。

勤勉さを発揮するのは、癒着の延長線上の自分勝手な未来にではあるまい。

何処を見つめるのか。何をよりどころとするのか。なにを成し遂げようと一身を賭すのか。

何故対立するのか。なぜ対立していなければいけないのか。

ルソーの昔より、我々はその答えを学び、探してきている。

その立場というもののフィロソフィに掛け違いがあれば、勤勉さは醜悪を産む可能性があることも歴史の教訓であろう。


政治・経済・文化、世界の情勢の刻々たる変化の中で、この国の未来に憂いを残さないように生きるとは、どのような勤勉さを要するのだろう。どのような対立が必要なのだろう。



わきまえもせず、このような思いが浮かぶツーショットである。

右下から左上を見据えている。この国の未来を見据え意を決しているようでもある。

しかし、同じポーズ・同じ視線・同じ方向というのも気にはなる。

願わくば。

右から左に「うけながす~」 ではあらんことを祈るのである。
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