司法・立法・行政、それぞれがそれぞれに独立した勤勉さを要するであろう。
勤勉さとは、そのフィロソフィに対してである。
勤勉さを発揮するのは、癒着の延長線上の自分勝手な未来にではあるまい。
何処を見つめるのか。何をよりどころとするのか。なにを成し遂げようと一身を賭すのか。
何故対立するのか。なぜ対立していなければいけないのか。
ルソーの昔より、我々はその答えを学び、探してきている。
その立場というもののフィロソフィに掛け違いがあれば、勤勉さは醜悪を産む可能性があることも歴史の教訓であろう。
政治・経済・文化、世界の情勢の刻々たる変化の中で、この国の未来に憂いを残さないように生きるとは、どのような勤勉さを要するのだろう。どのような対立が必要なのだろう。
わきまえもせず、このような思いが浮かぶツーショットである。
右下から左上を見据えている。この国の未来を見据え意を決しているようでもある。
しかし、同じポーズ・同じ視線・同じ方向というのも気にはなる。
願わくば。
右から左に「うけながす~」 ではあらんことを祈るのである。