山口は萩にて松下村塾を開く。
吉田松陰と号す。
不思議である。何故もあのようなところで、それもその後の英雄が固まって学んだのか。
いや。学んだからこその結果なのだろう。
人の環境と思想と時宜の不思議を思う。
高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文、井上馨、・・・、個性が違うのである。しかるに、世の流れの変遷においても、英雄足りえる柔軟性が育っているのである。
江戸人から、明治人への橋渡しをした、いや、し得る人材を輩出した、鬼才ともいうべき人であろう。
表句は、若干29年の生涯を閉じるに当たり、死刑の呼び出しを受けて、詠んだという。
「 此程に 思定めし出立は けふきくこそ 嬉しかりける 」
思想家、為政者、教育者として、思い切り咲いた自負もあるのだろうか。
かって、明治人の安岡正篤翁は、その後年の昭和に生きてこんな言葉を残している。
「現代流行の考え方の更に一つの誤りは、大衆社会・集団勢力に眩惑して、個人の無力を感じ、個人的自覚や発奮材料を放棄して、集団的社会的退廃の中に自己を投じ、苦難を避け、安易に就こうとするものである」と。
平成の現代、松蔭や翁の思いはいかばかりであろうか。
・・・。
いつの時代にも、コモンセンスとリベラルの葛藤がある。
命あらん限り、一心にて啼き呼び交わり死に落ちる蝉の季節に、おもわず、「温故知新」その言葉を思い出したのであります。
「このほどに おもいさだめし旅立ちは 今日聞くこそ うれしかりける」