私は若かりし頃、偏頭痛に悩まされた時期がある。
姉の勤めていた病院の脳神経外科に連れて行かれ受診した際に、知り合いの医者は脳波に異常が見られると言った。
「先生。それはもしかして僕が気違いだということですか?」
と聞くと、その医者はこう答えた。
「それも、ある」
・・・。
今では四六時中酒の麻酔が効いているのか、その当時のような偏頭痛はどこかに消えた。
ただ、その医者の言葉は、私の中で消えてはいない。
大きな波があると、それに飛び込みたくなる。
生きるか死ぬかの2者択一のような選択をする時の高揚感が、スコブル魅力的に感じるときがある。
悪魔の仕業だと思えるような考えが頭をよぎり、自分を蔑むときもある。
親戚連中が荒れていた一時期、当時19代目を継ごうとしていた兄は私にこういった、「うちの一族は気違いの血が流れとる」。
私は落ち込むよりも、この言葉でまずは慰められたことに喜んだ。
荒れた海に飛び込むよりも、凪ぎにちゃぷちゃぷ遊ぶ方を年月は推薦する。
私は、その後、私だけではないような荒れや凪ぎの出来事が誰にでもあるのではないかと思えるほどには年月を過ごしたようだ。
これらのことについて、乱れた脳の波について、私を禿げました、いや励ました言葉を綴ろうとおもう。
「自分の中の狂気を受け入れられる人こそ、リーダーの中でも最も健全なリーダーであると信じているのです。」
-ケッツ・ド・ブリース-
「いま我々には数人の狂人が必要だ。正常な人々が我々をどこに導いたかを見てみるがよい」
-バーナード・ショー-
まだまだ荒れた波の魅力は、私を落着かせてくれそうにない。