いいものを持っていても、使われなければ持っていないも一緒。
何も持っていなくても、時宜に応じて取り入れられれば、持っていたことと一緒。
持っていたとしても持っていなかったとしても、持っていたことと持っていなかったことにはならなかったりする。
笛は息を吹き込むものがいなければ、鳴らない。
笛そのものがあっても、息そのものがあっても、音色を持っているわけではない。
屁も匂いが無ければ、ただの風。
私は、笛のときもあれば、息のときもあるようだ。
私は、思いしつらえ出会い共鳴しながら、私も知らなかった私が私になってきたようだ。
ほんでもってこれからも多分そのようだ。
音色を目指せば、笛は息を欲し、息は笛を欲する、それが自然(じねん)。
くさくも無ければ屁と認められず。
私の考えの超えたところの、はるかなるものはそのような爽快さがありえる地平だ。